IDF最終日。昼過ぎまでずっとホテルで仕事をして、夕方から台湾のグループの舞台を見る。前半は国立芸大の学生。いわゆる欧米流の標準的なコンテンポラリーダンスか、伝統舞踊を表層的にアレンジしたもの、の二極。ひと段落したところで抜けてIKJの学生のストリートパフォーマンスを見に行こうとしたら、予定が変更になっていて、また劇場に戻ったが、後半の別の(学生でない)グループの作品はほとんど終わるところだった。見逃してしまった。
そのまま次回のIDFに向け、反省会を兼ねたミーティング。純粋な資金難に加えて、スポンサーの動きが不安定すぎるというインドネシア的な問題がもうどうしようもなく、その不安定性への対策をあれこれと練る。ここ数年のIDFが色々な点で進歩して来ていることは確かなので、課題を数え上げて前向きに検討した。
夜の舞台の前に、ロビーなどで学生のパフォーマンス。開場待ちの人々の間を動き回りながらさりげなく演技したり、踊ったりしていた。こういうのはインドネシアではあまり見たことがなかったので新鮮に感じる。一番手はジェコ・シオンポの最新作『ベータマックスからDVDへ』。短縮版だが、日本でもやった『Tikus-Tikus(ネズミ)』をブローアップした感じの作品で、本人の説明によれば全部で5種類のカンガルーの動きが入っているという。カンガルーの種類はわからなかったが、両脚を開いて突っ張ったまま強力な低空ジャンプで床を叩くとか、見たこともない動きの連発に興奮させられた。インドネシアのエコ・スプリヤントに続いて大トリが南アフリカのヴィンセント・マンツォー。ものすごいキレキレの動きが多彩に展開されて、目から入って来る情報の脳内処理がときどき追い付かなくなるほど速い。あとで、アフリカのダンスにも(当然ながら)地域ごとの多様性があるという話を聞かせてもらって、この未知の領域にも興味がわいた。今までアフリカ大陸の広大さをリアルにイメージしてみたことはあまりなかった、ということに気付いた。
いつものようにロビーでは閉幕のパーティー。あっという間に四日間終ってしまったけど、二年後もあっという間にやって来る。次はどうしようかということを考えてしまう。色んな人と話していてなかなか動けなかったものの、日本チームは国際交流基金の皆さんにご招待頂いて中華街へ。ガッツリ食べ、ゴンゾのインドネシアへのインパクトや、他のジャンルの状況について伺ったりした。この国の人たちともっとディープな関係をもつために、早くインドネシア語ができるようになりたい。

三日目は午前中からパネルディスカッションに駆り出され、バリの芸術祭とIDFの説明にちょっとコメントするという役目。あまり貢献できる立場でもない上に、拘束時間が長くて難儀してしまう。会場で、インドネシア語で書かれたダンスの本を何冊か入手した。
夕方、インドネシアの若手振付家のショーケースと、ゴンゾのストリートパフォーマンスがカブッているため、ショーケースを少し見て途中からゴンゾへ。関係者は大半がショーケースに張り付いているし、今回はドラム無しなので、最初は人だかりも少なく、街の日常空間にもろに剥き出しになった感じでスタートした。徐々に通行人が立ち止まり始め、場がざわついて来る。真面目と不真面目、協調と暴力の境界線上をたえずグラついているパフォーマンスは、一般の人の目から見たら相当に不思議だろう。皆じっと見ていて、歓声も上がるようになって来たころに警官が職質に来て、IDFのスタッフが対応する。遠足か何かで子供がたくさん集まっていたので、影響を懸念したらしい(「怪しいものはとりあえず排除しとく」式の対応ではない)。しばらくすると子供たちは観光バスへとしまわれていった。パフォーマンスの最後はいきなりワーッと声をあげながら走り去って終了。個人的には今日のセッションが三回中で最も充実しているように感じた。
すぐにショーケースに戻って最後の一本を見る。ジェコのグループで踊っていたブギーの作品はやはりストリートダンスと伝統舞踊をミックスしたもので、今後の展開に期待できそう。
夜のメインプログラムはメグ・スチュアートの作品。「劇場」という制度、すなわち「見る/見られる」という制度をあくまで前提として、そこに捻りを加えていく作りなので、そもそも観客が「見る」あるいは「見続ける」ための必然性を作り出そうという意識が稀薄。ヨーロッパの近代市民社会に特化した、すごくローカルな作品だと思った。IDFでは毎回上演後に花束贈呈みたいなセレモニーがあるのだが、特にこの日は「芸術」をデフォルトとしている出演者たちと「芸能」をデフォルトとしている主催者側とのコンテクストの食い違いっぷりが際立っていた。

IDF二日目の本番は若手三組。いくら超満員とはいえ、定時より5分前に開演なんていうケースは聞いたことがない。インドネシアの二作品の後、ゴンゾがトリ。ドラムの姫野さやかはどこから出てくるのかと思っていると、いきなり背景幕の向こう側に巨大なシルエットで現れた。まるでヒンドゥーの鬼神が暴れているみたいな、この世のものならぬ存在感の演出は見事だった。ゴンゾを見る観客のテンションというのは、いわゆる「舞台」を見ている時のように冷静なものではありえなくて、むしろスポーツの試合を見ている時のように、一挙手一投足に鋭く反応してしまうし、常にあちこちに注意を配って状況を把握し、分析しながら見ることになる。だから何か印象的な瞬間だとか「ファインプレー」だとか、そういうものはむしろ付随物に過ぎなくて、フレームによって区切られた時間(=「試合」の全体)を丸ごとスリリングなものとして共有できる。パンチなどがヒットする度に客席から声が上がって、異様に盛り上がった上に、その緊張感がいわゆる「ダンス」の上演におけるそれといかにかけ離れているかということが多くの人にとって印象的だったようだ。ベルギーの振付家のアルコ・レンツは「すごくコントロヴァーシャルだ。色んなことを考えさせられるパフォーマンスだ」と興奮して話してくれた。打上げの時に聞いた話では今回の出演を機に、かなり大がかりな欧州ツアーが決まりそうだという。ゴンゾはわりと美術系のイヴェントによく出ていて、ダンスのフェスにはあまり出ていないから、新しいブレイクになるかも知れない。IETMの関係でヨーロッパのプロデューサーが多く来ていたのはラッキーだったが、インドネシアで上演したのにアジアではなくヨーロッパにばかり引っ張って行かれてしまうのはちょっと納得が行かないけれども。アジアのプロデューサーたちのネットワーキングがいかに重要かということを改めて思った。

TIM(アートセンター)の正門前でのコンタクト・ゴンゾは大成功。インドネシアでは少し刺激が強すぎるかもとは思っていたが、ビンタが入ったりするたびに声が上がったり、ちょっと怖がりつつも盛り上がって見てくれていた。姫野さやかのドラムも凄まじくて、黒山の人だかりになってしまった。ダンス関係者にも好評。
ジェコとゴンゾと一緒に軽い夕食をとって、初日のメイン・プログラムへ。故グスミアティ・スイドの作品は初めて生で見たが、スマトラ島ミナンのマーシャル・アーツを基礎にした鋭くて明晰な動きのヴォキャブラリー。ダンサーとともに舞台に上がる歌手数人が、よくわからないけどイスラムっぽい歌を歌い、ムードも濃厚で、とても説得力のある舞台だった。インドネシアの若手を一組挟んで、トリが韓国のキム・ジェドク。前半は複雑なムーヴメントを目まぐるしく見せていくので、誰でも目が釘付けになってしまうけど、中盤から一気に作品のトーンが変わり、土臭いガクソリの歌唱とバンドの演奏が入って来る。あまりにも転回が急なので、しばらくは客席の空気とのズレを感じた。いかにも韓国的な、アツい情念で押しまくるやり方がインドネシアでは理解されないのかとハラハラしたが、曲が裏拍に変わった途端になぜか一斉にノリ始める。客席通路にいるダンサーを、反対側の通路にいるジェドクが煽って、見事に観客を巻き込み、手拍子も始まった。これこそ韓国の「芸能」の精神。終演後の観客のテンションがもうやたらに高いし、フェスティヴァルのオープニングに相応しく派手に炸裂してくれた。ジャカルタの人たちには、韓国のダンスというものに対する強烈なイメージを残したと思う。
夜はホテルのレストランでジェドク一行と軽く打上げ。インドネシア語と韓国語の通訳に挟まれて肩身の狭い思いをしながら話を聞くと、ジェドクは今は大学院の博士課程に通っているらしい。崔承喜と石井漠に興味があって色々調べているそうで、崔承喜と梅蘭芳の関係もよく知っていた。やはり歴史を知っていると作品のもつ意味の厚みが違ってくることは、今回上演された『Darkness Poomba』が如実に示している。韓国のことを知らない人にも、(楽しく盛り上がるだけでなく)知的な好奇心を起こさせる。でも最近の作品は民俗芸能色を出していなくて、なぜかと聞いたら国内では人気がないからだという。80年代に流行した表層的な民族主義に対する反動が来ている。国の中と外とで評価がズレるというのは、よくあることとはいえ、一体どうしてなのだろう。彼も国外に留学したら新しい展開ができるかも知れないと思った。
一夜明けて、午前中からジェドクのマスタークラスをのぞく。昨晩の作品に出ていた歌手がついて、生歌でやっていたのはビックリした。彼らとは週末にまた韓国で。
午後はインドネシア振付家たちのパネル・ディスカッションに少し顔を出し、ジョグジャの友人たちなどに会う。
夕方からまたストリート・パフォーマンス。ゴンゾを屋外でやるアイディアを出したら、インドネシア側も乗っかって来てくれて、IKJの学生たちのチームと交互にやることになった。1年生と2年生が中心らしく、テンションだけでひたすら騒ぎまくっていて、こういうのはちょっとチガうんだよなと思いつつ、一応フェスティヴァルらしい盛り上がりは生まれた。驚いたのはかなりの交通量のある大通りに数人でいきなり飛び出して行って、車列を大渋滞させながら路上で騒いでいたこと。メチャクチャさが圧巻だったが、クレームが来たら今後やれなくなっちゃうので、ちょっと考えもの。
今夜はいよいよコンタクト・ゴンゾの本番。

キュレーションに関わってから二回目のインドネシアン・ダンス・フェスティヴァル。今回は帰りに韓国に寄るため大韓航空でソウル経由。夜にジャカルタ入りし、公演会場となる Taman Ismail Marzuki(TIM)近くのホテルからいつもの屋台の辺りへ向かうと案の定、コンタクト・ゴンゾの一行が食事していた。この近辺でビールを売っているのはTIM正門前の特定の屋台だけなので、教える。アテンドで日本チームに付いてくれているハッピーさんも知らないレア情報。
久しぶりにゆっくり眠って、昼にジャカルタ・アート・インスティチュート(IKJ)のフェス本部へ。ゴンゾ一行とフェス側のスタッフを引き合わせて、ディレクターやスタッフたちと再会する。チケットの売れ行きは好調。パンフレットも前回よりさらにクオリティが上がった。資金調達がうまくいかなかったり、互いの価値観にズレがあったり、なんだかんだ毎回大変だが、少しずつ前進していると思う。せっかくの国際フェスなので、相互理解を深めるため全公演後にポストトークをやろうと提案していたのだが、こちらの観客は場合によっては否定的な感想や意見をあからさまに言って出演者を攻撃し始めてしまうことがあるので、今回は見送ったとのことだった。うまく対応できる司会がいれば大丈夫なのだろうけど、ちょっと残念。
間違って二冊買ってしまった英語の本(アンドレ・レペッキ編の新刊Planes of Composition: Dance, Theory and the Global)を持参して、IKJの図書館に寄贈した。本は絶対的に不足しているらしく、司書の人もすごく喜んでくれた。想像以上の反応で、作品やアーティストの交流を促進するだけでなく本をやり取りするという交流も有効だと思った。問題は、アジアは言語がバラバラすぎて、英語の本くらいしか共有できないということだ。
今回はIETM(ヨーロッパのプロデューサーたちのミーティング)が併設されているためもあり、意外な知り合いに次々と会った。カンボジアシンガポール、韓国から。
これから初日の公演が始まる前に、会場入口前でゴンゾのストリート・パフォーマンスがある。姫野さやかのあのドラムを屋外でぶっ放すというから盛り上がりに期待。

篠崎芽美の初ソロは、予想外にも、日本では稀なパフォーマティヴィティを備えた真正のアート作品だった。つまりこれは、別に世の中にあってもなくてもいいような作品ではなくて、上演する意味のある作品、そして見る意味のある作品だと思った。パフォーマティヴになること(「意味」への関与)を嫌ってダンシング(無意味、反意味)に逃避する、という日本のダンスのパターンからの離脱。しかもヨーロッパ式にダンシングをパフォーマティヴィティで置き換えたり抑圧したりする類の啓蒙主義に陥るのではなく、踊る肉体に内在しつつ外へとつながる視点を提示していて、「肉」というテーマを経由した目でもってダンスを見る、ということを観客にさせる。食うもの、食われるもの、そして「食われたもの」の混成体としての肉=体が踊る。ダンスというよりむしろ「ダンス」という観念に揺さぶりをかけられた気がした。
稲嶺前沖縄県知事がNHKで、先月27日の全国知事会議で欠席した知事が多かった上に、基地受け入れの意向を示唆したのが大阪の橋本知事だけだったという事実に沖縄県民は本当に失望したという話をしていた。確かにこの会議はあまりに時期が遅すぎたとはいえ、結果として要するに各地方自治体はほとんど誰も真剣に沖縄のことを考えようとはしていないし、つまり国全体のことを考えようともしていないということだ。この話を聞いた時、政府や民主党を叩くことしか思い浮かばないマスコミと、結局あらゆる本質的な問題をゴシップ(人事)に還元して満足してしまう幼い国民のことを思った。確かに政治家たちは無能だ(った)が、本当に無能で無責任なのは、政治家たちばかりではなく、むしろこの国の国民一人一人ではないか。民主主義が責任転嫁のシステムとしてしか機能していない。そんなのは「国」の名には値しないから、とりあえず一度アメリカの51番目の州になってしまった方がいい。そうすれば日本の47番目の県としての(=現在の)沖縄の立場をみんなで実感できるに違いない。

本務校の三年生以上を対象とする演習では今年から「パフォーマンス」に関する理論をどんどん吸収していくカリキュラムにした。前期に五つの概念を二週ずつかけて理解してもらい、後期に各自でそれらを応用した研究発表をしてもらう。五つの概念をそれぞれ一冊か二冊の本を中心におきつつ扱っていて、
1)「視線の権力」・・・フーコー『監獄の誕生』
2)「パフォーマンス」・・・オースティン『言語と行為』、ゴフマン『日常生活における自己呈示』(『行為と演技』)
3)「身体化」・・・生田久美子『「わざ」から知る』
4)「想像の共同体」・・・アンダーソン『想像の共同体』
5)「エキゾチシズム」・・・サイードオリエンタリズム
という風に順次進めていき、さらにこれらの理論と関わりのあるサブテクストも読む。バトラー「パフォーマティヴ・アクトとジェンダーの構成」(身体化)、バージャー「なぜ動物を観るのか?」(エキゾチシズム)、柄谷行人「美学の効用」(エキゾチシズム)、森幸一「ブラジルの琉球芸能と主体の構築」(想像の共同体)、小泉恭子「異性を装う少女たち」(想像の共同体)など。文献研究も大事だけど、理論は使いこなしてなんぼのものなので、二次文献なども遠慮なく使ってもらって、身近な出来事について批評的な視点から捉えられるようになってもらおうというのがコンセプト。冬から春休みにかけて練りに練った構成で、学んだことがきちんと累積的に活かされるようサブテクストも綿密に配列してある。成果に期待。

金曜は早稲田大学で中島那奈子さんの講演会があって、その対談の相手を務めさせて頂いたのだけれども、そこでドイツから舞踏を研究しに来ているAという若い学生に会って、翌日テルプシコールで再び会った後、HさんKさんKさんと5人で飲んだ。Aはまだ学部生なのだけど、単に舞踏に惚れ込んでいるばかりの人ではなくて、欧米での舞踏研究にはカルチュラルスタディーズ的な視点が欠落しがち(したがってオリエンタリズム的になりがち)であることまで批評的に捉えることができていて、ちょっとびっくりした*1。彼女が純粋なダンスの専門家ではなくてジャパノロジストであることも大きく関係しているのだろうけど、この若さでここまで認識がアップデートされているというのは「新世代」を感じずにはいられなかった。郡司正勝が舞踏に与えたナショナリスティックなイデオロギーについてもわかっているし、「国体」の概念とかまで話が通じる。どういう教育を受けたらここまで濃厚な21歳が生まれるのだろう。

ちなみに中島さんはベルリン自由大学のガブリエーレ・ブランドシュテッターのもとでダンスと「老い」についての博論を提出したばかりで、早稲田での講演はその内容について聞くことができた。「老い」(aging)というテーマを軸にすることで、イヴォンヌ・レイナーの2006年の復帰作『AG Indexical』から、花柳寿南海大野一雄までが一つの文脈の中で語れるということの面白さは、新しい研究の地平が開けた感があった。ただ対談の時にも少し言ったのだけど、この後はさらに議論を精密化していく段階が来るだろうとも思った。というか、考える材料をもらったという意味で、すごく刺激を受けた。

つまり中島さんは、「老い」をいわゆる「障害学」の枠組で捉えつつ、近代美学が排除してきた「他者」を社会的に包摂していこうとする昨今のポストモダンアウトリーチ系の芸術実践にとっての有益な例として、日本舞踊や大野一雄を取り上げているようなのだけど、(大野一雄はややこしいのでとりあえず別にするとして)少なくとも日本舞踊に限らずアジアの伝統芸能系で見られる高齢の踊り手の「芸の凄味」というものは、「老いても踊れる」「“健常者”でなくても踊れる」といった価値観とは根本的に異質なのではないか、ということを考えた。伝統芸能系の厄介なのは価値基準が曖昧なところで、端的には「年功序列」みたいな社会秩序とか「芸道」みたいな人生論と、(若い踊り手に対しては厳しく適用されるはずの)芸の巧拙とを明確には分けたがらないために、色々な要素が曖昧模糊とした「迫力」みたいなものに還元されてしまいがちである。花柳寿南海にしても、凄いなと思ったこともあるし、普通に腰が弱ってるじゃんと思ったこともあるけど、腰が弱っていても、それでも踊る(「踊れる」)ということの迫力にやられてしまう人の気持ちは一応わからないでもない。でも、個人的には、本当に感動するのは高齢のダンサーにしか出せない踊りの強さであって、それは若いダンサーが表層筋を使って動いてしまうところを、老いたダンサーは骨に近い深層筋のみでミニマルに動けるがために、動きが純化されて厳しくソリッドに出てくるという、ごくごくフィジカルに説明可能なことなのである。そしてそういう踊りは、ただ年を重ねれば誰にでも出来るというものでは決してないから、「障害」とその克服という問題には還元し切れない。

するとポスト近代美学的な帰結としてのアウトリーチ系の実践は、伝統芸能における「芸の凄味」に対してはどこまでも盲目であり続けるということになるだろう。なぜならアウトリーチは、「老い」や「障害」といった「他者」を積極的に包摂しようとするだけであって、その基準はもはや美学ではなくて倫理学でしかないだろうからだ。そういう質問が会場からも実際に出ていた。障害者を舞台に乗せて特権化することは、障害者が実社会では特殊な排除を受けることと表裏一体でしかあり得ないのではないかと。もちろんそれに対して中島さんはきわめて適確に回答していた。つまり(本人の言葉通りではないけど)舞台芸術は、観客を思考させつつ、新しいものの見方や考え方を生み出していく機会となるのだ、と。語弊をおそれずにいうなら、こうした啓蒙装置としての「芸術」という観念こそ、近代ヨーロッパの成熟した市民社会に特有の文化だろう*2。この「芸術」の、人を思考させる力を「パフォーマティヴィティ」とよぶとすれば、さしあたりこれと対置されるのが、「芸能」でいうところの「芸」であると思う。「芸能」というのは何だか捉えどころがないが、一種の娯楽としての性格が強く、また生活上の価値観とより密着していると思う。端的には、例えば「踊れる」「踊れない」とかいったレヴェルのものは「芸」とは見なされず、誰も金を払わないだろうということは確かだ。

しかしそこまで考えたところで新たな疑問が生じる。つまり、ヨーロッパのポスト近代的な「芸術」としてのアウトリーチ的価値観と、「芸能」の価値観とは本当に相容れないのだろうか、ということだ。例えば、アウトリーチは近代美学が排除してきたものに対するオブセッションを中和しようとしている段階に過ぎず、そこに留まっている限りは高尚なアートの域を超えることはない。アートが本当に社会的な意味をもつ国はいいが、そうでない国でそれを真似しても虚しい。しかし実は、アウトリーチ的な実践もまた、少なくとも潜在的なヴェクトルとしては、芸能において求められる「芸の凄味」を到達目標にできるのではないか。「老いた身体」や「障害のある身体」を単に社会的に包摂するばかりではなくて、またそのために美学を倫理的基準に置き換えつつ上演がもつ力の根拠をパフォーマティヴィティに帰するのではなくて、異質な身体がそれぞれの独異な「芸の凄味」へと達することをこそイメージしてみたい。別に古典芸能でなくても、何か神がかった圧倒的な「凄味」に至ることはできないか。「老人」のみならず「障害者」においても、単に「踊れる」のではなく「凄い」ダンスを踊る達人が現れることを、人々はもっと求めて良いのではないか。そこではじめて人々の美的な価値観の枠は本当に突き破られる。そういう踊りに出会ったことはまだない気がする。

*1:もちろん日本の舞踏研究にはもっと欠落しているけど。

*2:そしてそれは、ヨーロッパを離れてはほとんど機能していないことは明らかだと思う。少なくともヨーロッパ以外の地域では、何か政治的に切迫した状況がある場合を別にすれば、エリート主義的でマイナーなものに留まってしまう傾向にある。