2009-02-01から1ヶ月間の記事一覧

朝食を適当に済ませてから、昨日劇場のエアコンの寒さを思い知ったため何か上着を買わねばと歩き回るがそれっぽい店が見つからず、結局タクシーで劇場へ着いてからマークス&スペンサーで少ない選択肢の中からパーカーを買ったら結構な値段がしてしまう。昼…

飛行機も遅れなかったし、入国審査まではとにかく走ってできる限り多くの人を追い抜き、空港エクスプレスと(券売機の位置と必要な紙幣まで完全に下調べ済み)、タクシーで(英語だけじゃなく中国語でも書いてある地図をプリントアウト持参)、軽やかに劇場…

眠ることもできずに成田へ。香港の空港に予定通り着いたと仮定して、着陸から95分以内に劇場へたどりつかねばならない。二泊して朝イチの飛行機で戻り、今度は成田着陸から開演まで180分。都内で劇場をハシゴしてる感覚と変わらない。 それにしても噂には聞…

わー、という勢いで時間がない。原稿が終わらない。しかし明日は入試の採点。明後日は朝イチの飛行機で香港。とにかく終わらせなくては。

今までコーヒーに対するこだわりというものはなく、どんなコーヒーが美味しいとかいうことも考えたことがなかった上に、評判の店で飲んだりしてもあまり感動した経験はなかった。ただ家では普通のインスタントコーヒーにミルクを少し入れて引っ切りなしに飲…

アピチャッポン・ウィーラセタクンの新作短編 Phantoms of Nabua がネットで見れる。映っている内容そのものはミニマムなのに、抽象と具象の間、象徴性と現実味の間で激しくグラついている映画。何よりその危うさに震えが来てしまう。 この前、小谷野さんの…

最近、外食に出ると店内でJ−POPなどを強制的に聞かされてしまうことが本当に苦痛。また、いい歌だと聴いてしまって食べてるものの味がわからなくなる、ということも稀にだがある。主に演歌。いずれにしても静かに食事したい。

何事によらず、選択肢がいくつもある時にどれかを選択するという行為は、冷静に考えたらおかしな話で、多くの場合、選択はデタラメであらざるを得ないと思う。荒唐無稽を承知で、でも迫られるから選択する。 フランス人と国際結婚した人が、将来的にはフラン…

終日原稿書き。このモードに入るといくらでもアルコールなしの生活を続けられるのは自分でも意外。しかしだんだん鬱々としてきた。早く抜け出したい。しかし次も、その次も続く。 倉沢愛子『インドネシア イスラームの覚醒』('06、洋泉社)読む。

三月末のインドネシアの日程をやっと固める。今回は、インドネシアのモダンダンスの「父」的存在であるサルドノ・クスモの研究プロジェクトで、本人にインタヴューしたり、研究資料を集めるのが目的。出発前日が卒業式で、その日の夜のうちに出国して翌朝現…

会議の日。前期日程入試が近いので実施要領の周知のみなので一瞬で終わる。それにしても入試委員長のA先生の、情報の枝葉を切り落として必要最小限の部分のみを伝達する技術はいつも素晴らしく、一人静かに感動してしまう。ミニマリズムでありながらも決し…

終日原稿書き。しかし読書欲も抑え切れず、ベネディクト・アンダーソンの Language and Power: Exploring Political Cultures in Indonesia を読む。"Power"の概念を西洋近代のそれとジャワのそれとで比較するくだりからもうやたらに面白い。前者においては…

朝一で出勤し卒論の口頭試問。一人15分ずつ。限りなく「儀式」に近いと思うけど、学生の側はプレッシャーで大変。 『MOMM』2月号が届いていた。連載の欄は、10月のフォーラムに集まった批評家が二人ずつ隔月で担当していく構成のようで、先月は中国の J…

終日原稿を書く。途中で図書館へ行ったり、本屋へ行ったりする。つげ義春コレクションの5、モース『贈与論』の新訳など、ちくま文庫の新刊と、宋安鍾『在日音楽の100年』('09、青土社)[amazon]を買い、そこで、朴祥美「『日本帝国文化』を踊る――崔承喜…

昼前にホテルを出て新幹線に乗り、渋谷でOさんと会う。主に、ダンスの「コミュニティ」について。先日の We dance では、日本では「コミュニティ」というものが否定的なイメージをまといがちである、という話が出た。ある目的のために人が集まっても、「集…

京都芸術センターで白井剛の新作を見る。休憩をはさみ二時間強。上演時間が長いと、表層的な印象が持続しない。否応なしに、見る角度を様々に変え、色々なことを考えてみる、そういう時間が生まれる。例えば、緊張感を感じるだけでなく、その緊張感の源泉は…

さすがに昨日のは結構こたえた。精神に毒が回ってしまった感じで、それがなかなか抜けずに半日寝ていたが、見知らぬ人の日記を読んで救われる。何もぼくの肩をもつ意図で書かれたものではなく、単に出来事の醜悪さに憤り、悲しまれていた。それが自分自身の…

びわ湖ホールで二度目のシュイナールを見て、トーク。東京と同じく、マリーは司会者の質問をことごとく突っぱねていくモードで攻めて来たので、まずは損な役回りと割り切るが、テンション自体は最初から高く、自分でどんどん話してくれて安堵。しかし単なる…

山崎広太さんがイニシアティヴをとって始めた Body Arts Laboratory のサイトの振付家インタヴューが本当に素晴らしい。注目すべき発言はもちろん様々あるが、しかしどこがどうという以前に、コンテンポラリーダンスの作り手同志だからこそ可能な(単一の答…

午後から新幹線で大阪。泉州名物の「ガッチョ」という魚を食べてみる。唐揚げで、松葉おろしの状態(半身と半身が尾の部分でつながったV字)に、さらに背骨も残してある。たぶん初めて見た捌き方。あとで調べたら関東では「メゴチ」と呼んでいる魚だった。…

リゲティの『グラン・マカーブル』を見に、新国立劇場へ。意外にも日本初演。ARICAの藤田康城による演出は台本をかなりリテラルに読みつつそこに諧謔を加えている感じ。後半で霊柩車がドーンと出てきたのは良かったが、エンジンがかかってないのが惜し…

マリー・シュイナールはいわば享楽主義の奇才というイメージだったが、今回の作品は予想外なまでに深くて、震えてしまった。ギリシャ神話の意味なんてよくよく考えてみたこともないけど、「人類で最初の詩人」オルフェウスの詩というのが世の万物へ向けられ…

今年度で退職される絵画実技のM先生の最終講義。子供の頃から絵を描くのが好きだったという話から、いま取り組まれている作品のテクニカルな話までが、まったく自然な流れとしてつながっていて、その流れの中心には、現実にある「もの」が「もの」を超えて…

近所のカフェへ行って、ひたすら卒論を読み、採点をし、口頭試問の時にする質問を考える。半日で5本しか片付かなかった。芸能としての「歌舞伎」と風俗としての「かぶき者」の関係とか色々勉強になるし、戦前に宝塚歌劇が当初付属していた「温泉地」とディ…

会議の日。納得いかないこと。日本語が使用できる研究者によって書かれた西洋美術史関係の論文のうち、単に「日本語以外の外国語で書かれた論文」をいう際に「欧文の論文」と表現すればOKという感覚は、ちょっとどうかと思う。例えば、韓国籍で日本語も英…

今日は何も予定がないので家で細かい仕事を次々に片付け、近所のカフェへ行って英語の講読の試験解答を採点してから原稿を書こうと思っていたら採点だけで時間が過ぎてしまう。まあ自分も学部生の頃は英語なんて実用レヴェルじゃなかったけど、一度授業で読…

書類を提出したりするために大学へ。ソファーベッドを発注。 エルネスト・デ・マルティーノの La Terra del Rimorso ('08, il Saggiatore)が届く。呪術、祭儀、芸能、治療などが混然となった、よくわからない何か。とりあえずDVDの映像はかなり凄かった…

We dance 二日目。とにかくダンスについて話す、聞く、考える、ための時間が作られていて、それが異例だということを強く感じる。喋っていない時も、考えている。すると上演される個々のダンスも、ダンスであると同時に、ダンスについての思考であるように思…