徹夜で準備して舞踊学会で研究発表「イヴォンヌ・レイナー『トリオA』とヴェトナム――複数の「現実」をめぐって」。レイナーの独我論的な「私の身体」とそのパフォーマンスがどのような意味作用を果たし得るかを、モリスのミニマリズム彫刻論と、ヴェトナム戦争およびその視覚イメージが大量に流通していた当時の状況などと絡めながら、いくつもの線で分断された世界において単一の「現実」ではなく複数の「現実」を浮かび上がらせるものとして論じた。論としての精度に関しては色々やり残しているとはいえ、まずまず反響が大きく色々なコメントを頂けたので嬉しかった。2006年12月に学会で発表したものを2009年2月にやっと紀要論文にまとめ、今回はそこからさらに大幅改稿した。
レイナーは1971年にインドへ旅行していて、その時の「インド日記」が面白い。デリーでレイナーは『トリオA』をインフォーマルに上演したことがある。

何かやって見せてくれと言われたので、『トリオA』をやった。拍手喝采だった。ソナー・チャンド(マレーシア人らしい)は、「欲求不満(frustration)」についてのダンスであるように見えた、と言った。どういう意味か、彼は説明したが、よくわからなかった。("Indian Journal", in Work 1961-1973, p.187)

コンテクストが異なれば、パフォーマンスの意味も変わる。NYでは「ミニマリズム」だがデリーでは「欲求不満についてのダンス」になる。このカルチャー・ショックがきっかけでレイナーはダンスから映画制作に移行したのではないか、という研究者もいる。
ティーヴ・パクストンの研究をされている方と話をしていて、パクストンの次はデボラ・ヘイが来日するかも知れないとの情報を得る。これはもうぜひ実現してほしい。2006年にNYで舞台を見て激しく感動したのだが、ヘイはちょっと前にフォーサイス・カンパニーでも作品を作ったし、ローザスの PARTS にも招かれたりしているらしく、完全に第一線に返り咲いている。
芸術見本市会場に向かってクロージングに出る。知り合いがどんどん増える。スロヴェニアインドネシア、日本の混成チームで解体社を見に行き、さらに新宿へ戻って飲むが、徹夜明けだったのでさすがに脳がチーズになっていた。