このところ視力が落ちた。暗いところで本を読みすぎたかも。

今年後半は講義でアジアのダンスを扱ったために一般史と芸能史の本を重ねて大量に読みまくった。アジアのダンスについて日本語で書かれた本はたいてい中身が怪しい。わざと胡散臭い、面白おかしいテイストにしていたり、単純に記述が粗かったりする。文化人類学的なものでもダンスについては層が薄い。他方、英語で書かれたものは、アジアに関する基礎知識の段階で日本人がもっているのとはかけ離れたところから出発していたりするので、とっかかりとしてはかなり辛い。そこで一般的な通史と、芸能に関する本を重ね読みして、自分であれこれ照らし合わせながら咀嚼していくと、この作業はなかなか楽しい。日本の公教育ではスルーされていること、したがって日本人の一般常識からは外されていることを、どんどん知ってやろうという気になる。

例えば先日のアクラム・カーンとシルヴィ・ギエムにしても、「インド古典舞踊」と「世紀のスーパー・バレリーナ」の共演みたいなことは、1923年のロンドンにおけるウダイ・シャンカールとアンナ・パヴロワという前例を彷彿とさせる。シャンカールとパヴロワの写真はWikipediaにも出ているし有名なはずだと思っていたら、少なくとも日本では、かなり知識のある方たちもこのことはご存知ないようだった。この時期のパヴロワはデニショーンみたいなオリエンタリズムに走っていて、シャンカールは刺身のツマみたいに突っ立っていただけという話もあるが、この後、パヴロワに促されてシャンカールはインド古典舞踊の近代化に大きく貢献した。ちなみにバラタナティヤムを再興したルクミニ・デヴィの活動もパヴロワの影響で、インド近代舞踊史を語る上でパヴロワは絶対外せない重要人物である。カタックはどういう経緯だかいま一つわからないとしても、ともかくこういう事実をふまえれば、シャンカール/パヴロワと、カーン/ギエムの間の約80年という時間の流れにはすごく大きな意味がある。しかしそういうところまで突っ込んで批評が書かれるためには、あまりにもインドの近代史に対する認識がマイナーなものでありすぎる。(だいたいカーンもスターと共演して欧米中心のマーケットの受けを狙ってばかりだけど、せめてこういうダンス史的な連関を取り上げたりすればもう少し意味のある作品が出来たんじゃないだろうか。あるいは、モダンダンス的なプロセニアムの設えに固執しないで、カタックをもっとディープに掘り下げていけば開拓すべき領域はいくらでも見つかるんじゃないだろうか。例えばトニー・ガトリフがロマのルーツを辿った『ラッチョ・ドローム』のように、北西インドからフラメンコへと至るダンスの系譜の中に分け入っていくというようなことをしたら、ヨーロッパ的な価値観や制度から自由なところで実験的なパフォーマンスの可能性を想像できるはずだと思う。)

あるいは韓国。80年代ぐらいまでの、民族主義的なテイストのダンスは、日本人の目から見るとどうしても古めかしく見える。でも、もう韓流とかでほとんど忘れられているけど、80年代末まで韓国は軍事政権みたいなものだったわけで、反共とは裏腹に、民族の分断という悲惨な現実があった。そういう事情を抜きにして、自分たちの歴史感覚で一方的に新しさ/古さをいうことの不毛さというのは、日本の公教育や一般常識でフィルタリングされてしまっている韓国の近現代史を自力で拾っていかない限り実感できない。特に同時代史に対する認識は、世代ごとにどんどん変化していくから、うっかりするとその時々のムードや常識にだまされてしまう。世代交代というものの怖さは、変化の大きいアジアを見ているとつくづく思い知らされることが多い。

そういう意味では、アジアのダンスを日本に紹介する企画はちらほらあるにしても、制作者も、それどころか作り手たち自身も、どんな風に日本の観客と「接触」すればいいのか、ノウハウの蓄積がこれからもっと必要なのかなと最近思うようになった。先日、神戸のダンスボックスで上演されたピチェ・クランチェンの作品も、背景で流されるタイ語と英語の音声に字幕も何もなかったため、観客は終演直後にポカーンとしていて拍手がすぐには起きなかったりした。要するにピチェは「外国」へ出る時は英語をデフォルトとしてしまっているわけで、それはやっぱり欧米中心主義なんだよと思う。大部分の日本人は英語ができない。公教育で膨大な時間とエネルギーと税金をつぎ込み、受験科目にもしているのに、それはハリボテでしかない。しかしこれが「開国」以来150年ほど経った日本(というアジアの一地域)の現在の状況なのだということを、まず受け容れなければ何も始まらないだろう。「グローバル」に活躍するアジアの人たちは欧米の方だけを向いてしまいがちで、欧米的教養を身につけなければアジアにふれられないというのはやはりヘンだし、他方、制作者にせよ観客にせよ、日本人がアジアのことを知ろうとする時には、同時に自分たちの側のコンディション(イデオロギー的な環境)を知ろうとすることが必要不可欠だと思う。これはかつてヨーロッパ文化を受け入れようとした時とはかなり違う話になってくる。