イギリスの振付家のショーネッド・ヒューズという人が、青森の民俗舞踊である「手踊り」をモティーフにした滞在制作を行っていて、その途中経過のショーイングが2月3日に森下スタジオであると聞き、前日にそのゲネを見せてもらえるかもということでHさんと一緒にお邪魔した。結局ゲネは見られなかったのだけど、「手踊り」は見ることができて、こんな踊りが日本にあったのかと驚いてしまった。二本の三味線と、唄を伴っていて、姿勢は腰を落としているのだけど、ものすごく速いテンポで、クルクルと左右に体の向きを転換しながら、腕をかなり大きく使う。シャープで、ダイナミックで、軽快。しかし実際はこのさらに1.5倍くらいの速度で踊るのだと聞いた。

ショーネッド・ヒューズは2008年に続いて2009年も「国際芸術センター青森」に滞在して、この踊りに出会って作品を作った。先日の青森でのショーイングの映像を見せてもらったら、この手踊りを床に仰向けに寝た状態で踊るというシーンがあり、これがまた異様に面白い。空間移動のほとんどない軸回転が主なので、足遣いがそのまま活かされ、床に寝た状態でキビキビと体の向きが変わる。他に、雪かきをする作業の動きをそのままやってみせるシーンなどもあり、ダンサーではない出演者たちに日常動作を反省的に捉え直しながら動いてもらっているのが興味深かった。

話を聞くと、生活環境や生活形態と、その中から生まれてくるダンスの関係に興味をもっている方で、リスボンやロンドン、カーディフや東京で、その街の人々を観察し、そこからダンスを作るということを試みてきたとのことだった。例えば青森の人は、知らない人のことをまず少し遠くから、真っ直ぐジッと観察し、そしてすぐに打ち解けてくるらしい。あるいは街によって、人と人が互いにどれくらい距離を取って話しているか、とか、リズムとか、本人たちはあまり意識していないところでかなり個性があるという。もちろんこれを舞台の上に乗せるのは、あまりにも微妙過ぎて難しいのだと話していたが、すごく面白いアイディアだと思った。手踊りのスピードが速いのも、明らかに青森の寒さが関係していて、「速さ」という要素が生活パターンや人々の所作、話し方にも一貫して見られるという。だから手踊りは、人々の生活と密接に関わって生まれて来たものであるわけで、生活とダンスのこの連関に注目した今回のプロジェクトはきっと相当面白い作品に結実していくだろうと思う。

「日常動作」というのは、ジャドソン的には日常の無意識的で「ありふれた」動きにフォーカスすることが多かった。日常の動きは「ありふれた」「つまらない」動きだという前提に立つがゆえに、ともすると普遍主義やヒューマニズムへとズレ込んでしまう傾向があった。そしてその場合の「普遍」とか「ヒューマン」というのは、えてしてアメリカの白人のことを指していた。前からずっと考え続けていたことではあるが、やはり現在から振り返って60年代の前衛に決定的に欠けていたのは、「文化」という観念だろう。文化は多様であり、また時代とともに変化するということが、ジャドソンでは考えられていなかった*1。だから日常動作というのを、あたかも特定の場所や時間を超えた「ありふれた」動きとして捉えるのではなくて、例えば青森においては雪かきや農作業などといった、必要に迫られて人々が行っている日常のルーティーン(反復運動)として捉えれば、いわゆる民俗舞踊の多くがそういうところから生まれているという事実が新しい意味をもってくる気がする。つまり農村であろうが漁村であろうが都市であろうが郊外であろうが、そこでの環境が人々の所作にもたらす影響、あるいはその特定の条件下でなされる労働やルーティーン(反復運動)に着目すれば、過剰に「普通さ」「ニュートラルさ」「脱力」を誇張するジャドソン式とはまた違った仕方で、生活(=文化)と深いつながりをもつダンスを多様に想像することができるのではないか。それはもしかしたら「民俗舞踊」などとよぶのが相応しいものであるかも知れない。「民俗舞踊」。何やら輝かしいネーミングに思えてきた。

*1:舞踏にはあった。ただし理論化はされず、「日本」なり「東北」なりという具体的な場における具体的な実践としてのみ展開されるに留まった。