会議というのは普通に話している時よりも脳が疲れる。普通にしゃべっているなら5時間ぐらい何でもないのに、会議だと頭痛がしてしまう。Mさんが、会議中は人の話を聞いている時も自分の考えを言葉にしていたり、複雑に頭を使い続けるからじゃないかと言っていた。今週はあと日曜に「80年代」を再検証するシンポジウムの司会をするので資料を整理しなくちゃいけなくて、翌日の月曜には某国大使館で40分も話すのに原稿もヴィデオもこれから作らなくちゃいけない上に、明日は入試の採点で、さらに期末レポートの採点まで残っていて、もちろん夜は舞台に行く。好きでやっていることと、純然たる仕事の境界がないからこういうことになる。

会議後、「福岡フリンジダンスフェスティバル」のスウェイン佳子さんとお会いして、ゆっくりお話する時間を持てた。今月第三回目が開かれたこのフェスは、乗越たかおさんが一人で太鼓を叩いているわけでは決してなく、これまでにない「地域」モデルをダンスという文脈から打ち出しつつあるという点で非常に注目すべきものだと思っている。ぼくは韓国のダンスが数組出るというのと、以前から福岡のダンスシーンに関心があったので初めて出かけたのだが、東京よりもソウルと近いこの場所の特性、面白さを改めて感じた。韓国のフェスの中に「福岡フリンジ」への出演者を選ぶ賞が作られたり、反対に韓国のフェスへ日本側から出演者が選ばれたり、という「双方向」的な関係が成立しているのだが、それが「韓国」と「日本」といったような従来型の二国間交流ではなくて、むしろ「朝鮮半島」と「九州」を一括りにした地域内交流という図式になっている。あたかも県境を超えるような感覚で、国のボーダーをまたいで、結果的に一つの「地域」を形成するという、そんなことが(この日本で)現実味を帯びている。これは画期的だと思う。

ただ実際に18作品を立て続けに見て、思うところは色々ある。まず上演作品の水準。商品として流通しているレヴェルの舞台を輸入することは、福岡では他でもやられている。そうではなくあくまでも「フリンジ」としての位置にこだわりたいというスウェインさんの考えは理解できた。とはいえぼくの印象では、逆に、「フリンジ」にしてはどれも大人しく定型をなぞり過ぎていないかと思った。一通り既存のダンスの枠組(「コンテンポラリーダンス」を含む)の範囲内であって、外から見たらそれなりに自己完結しているように見えるだろう(唯一、熊本の竹之下亮という人がクレイジーだった。舞踏っぽいのだが、上演行為に対してアイロニカルに振る舞う面もあって、良い意味で「壊し屋」たり得ると思った)。「コンテンポラリーダンスは自由」なんだと言うのは簡単でも、案外普通に生活世界の中で行われていたり、他の領域で試みられているかも知れない様々なダンス(あるいはダンス的な行為)に対して開いていくには、「自由」を標榜しているだけでは足りない。むしろ劇場からひとまず離れ、地域の中の「フリンジ」な踊り手や作り手にもっと積極的に出会って行くことが必要なのではないか*1

もう一つ思ったのは、韓国のダンスに対する視点。よく知られているように韓国のダンス界はセクト化しているので、どの入口から入るかによって見えるものが違う。「福岡フリンジ」が提携しているコンペやフェスにはぼくはまだ行ったことがないのだけれども、今回福岡に出演した四組とも見るのは初めてだった。大学教育で基礎がしっかりしているというイメージを覆し、(良くも悪くも)日本によくある学芸会ノリの作品に出会えたのは大きな収穫だったとはいえ、どれも異文化性をほとんど感じさせないものだった。つまり日本のダンスを評価する時と同じ判断基準で選ばれてしまっているように見えて、単に国籍が違う人同士が交流したという以上の出来事ではないように思えた。ぼくはここ最近、韓国の伝統文化(特にシャーマニズム)の考え方が現在のダンス(コンテンポラリーのみならずバレエであれヒップホップであれ)の基層にどれだけ流れ込んでいるかということに注目していて、そこを見れば見るほど韓国の独特さ、異質さが面白くて仕方ないところなので、これでは全く物足りない。自分たちとは違う価値観や、感じ方、考え方にふれて、刺激を受けたいと、誰しも思っているはずだ。そのためには、プロデューサーは、あえて異質なものの異質さを深く理解して、それを適確な仕方で紹介するのがミッションになると思う*2

そして韓国の異質さに目が開かれることが、結果的には福岡のダンスシーンにとっても、自分たちのことを客観視するきっかけになる。ここでようやく、「国」の単位を超えた「地域」というオルタナティヴな枠組をもつことの本当の面白さ、ダイナミズムが味わえるだろう。東京という磁場から離れて、環境の特色がリアルに目に見えるようになってくると思う。もっともその「自分たち」というのが、「福岡」になるのか、「九州」になるのか、「西日本」になるのか、はたまた本当に半島と島をひっくるめた今は名前のない一地域になるのか、その辺は色々であっていいし、あるいはそのどれにもなれないということが(再び)確認されることになったとしても、少なくともダンスを考えるための強力な補助線にはなる。

ところで、冷静に考えてみると、福岡側は「フリンジ」なのに対し、韓国側はソウルのわりとメジャーなフェスで、この関係はあまりバランスが良くない。おそらく韓国のフェスの側は、他国と交流することが「国際性」として評価されたりして色々メリットがあるのだろう*3。それでもウィン・ウィンで悪くはないが、すると「国」を脱しているのは福岡の側だけということになりかねない。ここはやはり、志として、「フリンジ」という価値観そのものを共有できるカウンターパートを韓国の中に求めて行ってもいいのではないかと思う。その意味では、例えばプサンあたりのダンスシーンはどうなっているのかリサーチしてみたら何か見つかるかも知れない。ついでにいえば、済州島対馬などのボーダーゾーンにも興味を惹かれるし、ボーダーという意味では、歴史を遡れば「奈良」とか「崔承喜」とか、色々と視野に入ってくる。

*1:これは神戸・長田区に移ったダンスボックスが非常に面白い活動を展開している。長田区におけるダンスの生態調査(エスノグラフィー)。これについてはまた書く。

*2:もっともこういう異文化性への対応が不足していても、そのことに一番気付きにくいのはまさにヨーロッパと交流する場合なのだが。

*3:80年代以降の韓国のように、国の文化を対外的にアピールしようとする場合、(とりあえずは)翻訳作業が要らないダンスはかなり有効な選択肢になる。