二度目のチャンムー・フェス。たまたまIDFと同じ週の開催になってしまって、キム・ソンミの『ボレロ』再演など見逃してしまった。ジャカルタ〜ソウルの便が22時の一本しかないというのも痛い。
週末の「アジア・コンテンポラリーダンス」というプログラム、一番手の韓国の作品は、「儀式」のような構成に少しドラマがあるような作りで、踊りは良かったけど全体に「朝鮮」的なものを神秘化してエキゾティシズムに陥っている印象を受けた。決して珍しいパターンではないけど、こういうのを韓国の人たちはどんな心理で見ているのだろう。二番手がナン・ジョンバン。一組目の印象が尾を引いて、伝統主義(あるいは文化的アイデンティティやナショナル・プライド)と、エキゾティシズムは、紙一重(あるいは、ねじれて一致してしまう可能性のあるもの)だという矛盾について考えながら見てしまった。そして、こういうことはインドネシアではあまり考えたことがなかった(あらゆる文化が絶えず相対化されてしまうので、その場の全員で何か一つのものに浸るというようなことがイメージしにくい)ということにも気付かされ、韓国でナン・ジョンバンを見たことはとても良い経験になった。三番手は東野祥子で、『E/G』は初演時と全然違うものになっている。あるシーンで、客席にいっぱいいた子供にすごくウケていた。ウィジョンブ市は都心から少しだけ離れた埼玉みたいな土地で、しかも地元の人が見に来ているので客層がソウルとは少し違う。最後はキム・ジェドク。やっぱりメチャメチャに盛り上がった。客席に座ったまま一緒に踊っている人もいてビックリした。
終演後はロビーでチャンムー・カンパニーが大編成の作品を上演。人形を手に持って、やはり何かの宗教的な儀式を踏まえている。ジェドクの新しさについて考えてしまう。伝統系の人たちは、よく「伝統的なものを現代的な感性で」という言い方をするのだが、その「現代的」ってどういうものをイメージしているのかがよくわからない。「いま」がどういう時代なのかということに関する、具体性に乏しい。ジェドクはガクソリをあからさまにブルース・ロックとかレゲエと接続するということをやって、そういう具体性が面白さのポイントになっているなと思った。ジェドクのマネージャーをしているHに、インドネシアの新聞記事を渡した。
一度ホテルに戻り、日本から来ているHさん、アメリカから来ているA、S、韓国のG、Dと一緒に焼肉に行く。Gは何か極端なことばかり言う人だけど、韓国にグレアム・テクニックを持ち込んだユック・ワンスンと、伝統系の大御所であるキム・メジャという大きな二つの流れを対比して、前者はメインストリームで国からもよくサポートされているが、実質的には何も生んでおらず、むしろ後者の方が本当は文化的な英雄なのだと力説された。前者についての評価はさておき、後者については賛成する。伝統文化というのは、単にその国や地域の人のアイデンティティやプライドを守るためのものではなく(そんな排他的で利己的な事情はむしろどうでも良い)、人類全体にとっての財産であると思う。だから創造的に(あくまでも創造的に)引き継いでいける立場にある人は、少しでも引き継いだ方がいいし、それに取り組んでいる人たちの存在はありがたい。
さらにAとGと三人で遅くまで飲んでしまう。インドネシアでは「飲み会」で盛り上がるということがないので、その反動。