二日目。昼過ぎまで部屋で仕事をして、少し街中を歩いてみる。基地の街(在韓米軍と韓国軍)なので、軍服の人がけっこういる。あとなぜか結婚式場が多く、日曜ということもあってあちこちで式が行われているようだった。14時くらいになって何か食べようと思ったらチェーン店ぐらいしか営業してない。それでも路地に入って行って個人営業の店でデカいチヂミを食べた。客はぼくだけで、店の人が最初、テレビをつけてサッカーの日本戦を流してくれたのだが、ぼくが全然見ないので、今度はアメリカのベタなロックみたいな音楽をかけてくれた。韓国って、日本よりも明確にアメリカナイズされている気がする。
また劇場に向かい、昨日と同じプログラムをもう一度見る。全体に昨日よりクオリティが向上。インドネシア組はダンサーたちのコンディションがより整っていたし、日本組はテクニカルとの意思疎通ができて本来の出来になっていた。ジェドクの作品はこれで4回目。二日続けて見て、観客との関係がどう推移していくかを冷静に観察していたら、ロックやポピュラー系のライヴでよく使われるような空間的・時間的構造やレトリックをダンスの上演にうまく応用していることがよくわかった。
この日は続けて最後のプログラムがあり、アン・ソンスの『春の祭典』(『ROSE』)と、初めて見るロシアのグループ。いずれも興味持てず。アン・ソンスは超絶技巧的な振付でかなり尊敬されているみたいだけど、技術であろうが知性であろうが何でも「量」の問題に還元して「力まかせ」みたいになってしまうのは実に韓国的な価値観で、そういうのは韓国の外に出て行くことは難しいだろうなと思った。そしてそのことが本人たちにはなかなか理解できないだろうとも思った。
フェス全体が終わってレセプション。インドネシア組は、豚肉が怖くてなかなか未知の食べ物に手を出せないので、これはダメだけどこれは大丈夫だから食べてみなよ、と「韓・イ交流」をプロモートする。批評家のJが興味をもってナン・ジョンバンの振付家のエリ・メフリのところへ話を聞きに来てくれた。彼らの出自であるミナンの伝統舞踊はすべてマーシャルアーツが基礎なので、マーシャルアーツが出来ない踊り手は存在しない、という話。そしてどこまでがマーシャルアーツで、どこからが踊りなのかということなど。エリ・メフリにはマッコリを飲ます。キム・メジャは90年代にIDFに出たことがあって、もしかしたらその年にナン・ジョンバンも出ていたかも知れなかった。
その後、また昨日と同じ店で焼肉。サムギョプサル、プルコギなど。豚の皮を焼いて食べるというのは初めてだった。昨日の面子に加えて、フェスの仕事が終わったS、D、そして東野祥子さん、カジワラトシオさん(役職付きの人および出演者と、現場のスタッフやボランティアで分かれて打上げする習慣らしい)。韓国はエネルギッシュにどんどん飲むので楽しい。今年秋の SIDance にずっとプッシュしていたジェコ・シオンポと、ピチェ・クランチェンの出演が決まったという情報が入る。日本はもう経済的に当分ダメだし、文化的にもガラパゴス化(孤立)していて話も通じないので、韓国でアジアのダンスの企画をどんどん広げていきたい。特に北東アジアと東南アジアの間が切れているから、ここをつなげば必ず新しい文脈が開けてくると思う。
その後、D、G、東野さん、カジワラさんと5人でカラオケに移動。日本語の歌は簡単な韓国語訳が出るのだが、韓国語の歌は日本語訳が出ないので、意味がわからないのが残念だった。さらにクラブへも移動。日曜の夜なのでガラガラで、ハングル文字の電飾がサイケデリックに飛び交う中でワケがわからなくなった。そこからさらにホテルに戻ってD、G、Eと部屋飲み。明け方近くになってようやくお開きになり、2時間後のバスでインドネシア組と一緒に空港に向かった。空港では、月曜の朝だというのに、いつものようにデモをやっていた。