かっこいい世界は探せばきっとある

最近BSで特集されていたこともあって『ユリイカ』の2003年4月臨時増刊号、総特集・吉田喜重を読んでいたら思いがけない事実を知った。一体いつから舞踏は原爆と結びつけて語られるようになったのか、ということはかねてから興味を持ってたが*1吉田喜重が1990年にリヨン・オペラ座で『蝶々夫人』を演出した際に、そこに芦川羊子と白桃房が出演したらしい。「おそらく第一幕と第二幕のあいだに、長崎の街は原爆によって廃墟と化していたのかもしれない。それを暗示するかのように第二幕の初めには、芦川羊子さんと「白桃房」の舞踏が演じられ、さらに第二幕と第三幕にわたる間奏には、蝶々夫人の物狂いする心が舞踏によって映し出される」(144頁)。浅い…何事によらずこの浅さとスノビズムの二重奏がどうも吉田喜重を間に受ける気をなくさせる。ギリギリセーフかと思いきやアウトな人というか。ぼくにとってはやはり依然として「岡田茉莉子の夫」でしかない。
それにしてもこの前見た『マトリックス リローデッド』('03、アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー共同監督)は死ぬほど面白かった。何て面白いんだろう。何の文句がつけられるんだろう。CG多用で一つのショットが長くなっているおかげで、過剰なアクションシーンでも何がどうなっているか完璧にわかる。何がどうなっているかの認識がどこまでも伸びていくことで興奮が高められていく。偶然『チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル』('03、マックG監督)の冒頭部分を見かけたが、こっちはわりとカット割で見せようとしていて、でも『マトリックス〜』に比べれば大したことは起こっていないはずなのに何が起こっているのか全く把握できず少しも興奮できなかった。ともかくCGは別に「ズル」じゃないということを声高に主張したい。『スパイダーマン』('02、サム・ライミ監督)のCGアクションのタルさを思えばやっぱりウォシャウスキー兄弟の過剰さは偉大で、CGの世界にも当然ながら技巧の水準というものがあるのだ。

*1:アメリカおよびヨーロッパではいまだ現役。