CM

かなりラフではあるけれども歴史(世界史)編がひとまず書けた。気分がいい。


前からずっと気になっていたこと。車を運転しながら音楽を聞いてると、なぜかやけにディテールに神経が行って、いつもより深く味わえる。最初ピンと来なかったCDが、車で聞いたら一気にガツンと来たりする。音響システムがいいわけじゃないし、エンジン音とかノイズもたくさんあるのに「クリア」に聞こえるのは、何か集中力の加減がちょうどイイのだろう。冷静に考えてみると、知らない道をゴチャゴチャ走ってるときはやっぱり音楽なんか聞いてない。よく走る道とか、高速道路とか、あんまり考えなくても走れる状態のときだ。どういうシチュエーションに似てるか。電車の中で本を読むのと似てる。あとやらなきゃいけない仕事があるのについ単純なゲームとかしてしまって、ゲームしながら仕事のことを考えているとき。本も考え事も、机とかに向かって腰を据えてしまうより、この方が妙に集中できたりする。
対象物を真正面に置くと、意識がむしろ逸れてしまう。真正面には何かどうでもいいものを置いておいて、意識の端っこの方を使った方がはかどる。無音とか全暗になると耳とか目が色んな情報を探し出そうとしてしまうというのがあるが、要するに脳に適当にエサをやっといた方が、意識を向けたい方向に向けられるということか。映画のサウンドトラックには、基本的に一定の微弱な(ほとんど聞き取れない)ベース音というものが流れているが、それとも似ている。試してみたいのは、酩酊状態での読書。なるべく論理的なやつ。たぶんかなり速く深い読書になるに違いない。しかしいざ酒を飲んだときには本なんか読む気分になりにくく、なかなか試せずにいる。


違う話。
月並みだが、テレビの中で何が面白いかといったらCMしか考えられない。無意識の内にCMばかり探していて、番組が始まるとチャンネルを変えてたりする。常にCMしかやってないチャンネルがあればいいと思う。さらにメーターかなんかついてて、視聴時間に応じて小銭が儲かったりすればなお良い。
大半はどうってことないものだし、あとはちょっとセンスがいいというだけのものだが、たまに志の高い作品に出会うと感動する。CMというのは何しろ金がかかっていて、費用対効果がモロに問われる上に、何度も繰り返し見られることを前提に作られているし、テクノロジーやアイディアやウィットにかけても映画のようにノロマではない。1分で4本も見られるところもいいが、何といっても、自分では何を見るか選べないところが素晴らしい。CMが絶対に「芸術」じゃないポイントは、見る人が一本一本に対する身構え(美的態度)を準備できない(しない)ところではないか。ヘンに穿った吟味をしたり、反省したりしない。その代わりいきなり、思いがけないタイミングで「来る」。(マニアックに調べない限り)録画して保存することもできない。保存できない(しない)ことで、物質性も下がり、フェティッシュ化を免れ、カネに汚染されない。資本主義のど真ん中に、資本主義とは無縁の、清潔な映像。
『ロザリー・ゴーズ・ショッピング』という映画でCMばかり見ている主婦が出てくるが、あれは確かCMといってもテレビショッピングみたいなやつで、CM映像のこの矛盾した性格にはフォーカスできていなかったように記憶する。テレビショッピングの映像は「電話する」というリアクションを露骨に期待しすぎていて、えげつない。そもそも視聴者が長時間付き合ってくれるという保証を、映像自体が作り出してるわけではなく、視聴者の側が予め「買おう」という構えをもって、買うかどうかを吟味しながら見てるだけだから、映像のフォルムは問われない。純粋な効果だけの、フケツな映像だ。