水戸

選挙の投票へ行ってから、水戸まで行き、エルヴェ・ロブの作品を見てきた。90年代の半ばごろ水戸芸術館はフランスのヌーヴェルダンスを積極的に紹介していて、しかもロブのレジデンス・ワークから岩淵多喜子や平松み紀が出たりしているのだが、最近は音沙汰がなくなっていた。といっても当時は全然見てなくて、ロブは今回が初めて。映像による空間処理とか面白いところもあったが、振付に関してはほとんど見るべきところがない。予想通りだが、予想では意味がないので目で確認したというところだ。
現場でSさんに会って話した。Sさんはロブの振付を見ながら、id:mmmmmmmm:20040616で書いた「『舞踏』を理解しない人をぼくは信用すべきでないという確信を得た」を思い出していたそうで、ぼくもこういうダンスを見るといつも舞踏のことを考える。ロブの振付はせいぜい関節単位でしか構想されていなくて、極端にいえばライフフォームズとかでも作れてしまいそうな大雑把なものだ。舞踏はもっと細かい単位の動きの語彙を開拓した。イメージや言葉と、身体の無意識を媒介にして、常識や幾何学による地ならしを経る前の身体のカオティックな可塑性を引き出し、身体はいくらでも細かく割ることができて非常識な仕方で動くのだということを証明した。いうまでもなく、「舞踏の方がヌーヴェルより動きが細かい」という相対的な差が問題なのではない。身体の可塑性の無限性を信じているという点において、名指し得る有限個のパーツや語彙の組合せでもって体系を構築しようとするダンスよりも舞踏の方が絶対的に優れているのだ。
劇場へ来るとき、電車が水戸に近づくにつれて豪雨になり、雹まで降ってきて大変だったのだが、帰りはほとんど雨が上がっていた。しかしダイヤは大幅に乱れており、帰りの電車は全く動いていなかった。夜は六本木で中馬芳子を見る予定でいたのに、ホームで1時間半くらい待たされ、結局間に合わなかった。
選挙の投票率は上がらなかったようだ。投票率なんてどうせメディアの煽り如何にかかってるんだけど、今回はくだらないメロドラマがニュースを独占したおかげで「祭り」需要はまんまと充足されてしまった。近未来のリアルな悲惨より目の前の祭りなのだ。いずれにしろ政治意識から投票行動に出る有権者の数は高が知れてるのだから、選挙なんてイデオロギー闘争ですらない正真正銘の「多数決」だとはいえ、何より不甲斐ないのはメディアが「年金問題」という壮大なスペクタクルではなく安いブロックバスターへ逃げた、というその表現者としての志の低さだ。何かやらかしてやろうという悪意さえなくなったら何が楽しくて仕事しているのかと思う。自民党は本当にうまい。