ゴッホ

冷房病か体が痛くて頭がボーッとしてる。

ゴッホ』('90、ロバート・アルトマン監督)。あまり期待しないで見たのだけど、面白かった。冒頭シーンはクリスティーズで『ひまわり』の値がバカスカ釣り上がっていくところを映してて*1、そのままオークションの声がオフでゴッホ本人の映像にかぶってくる。そして画面は全編通してゴッホ調。ゴッホのタッチでゴッホ本人を描く、というのは黒澤明も『夢』(この映画も'90年製作)でやっていたけど、アルトマンの方はもっと含蓄がある。
アルトマンは、ゴッホに「芸術家の苦悩」とかのステレオタイプを外側から一方的に仮託してデフォルメするのではなくて、その「苦悩」をもっと社会構造的に切り取っている。『ウェディング』みたいな「群像」にこそなっていないが、それは単に空間構成の問題に過ぎない。ガシェ医師とゴッホの会話。ガシェ医師が「〔アダムとイヴ以後の〕世界はまるで出来の悪い絵だ。神はこの世を破壊してしまうべきだった」と言うと、ゴッホは「自然は完璧だ」と返す。「じゃあなぜ苦労して描くのか」と聞くと、「描かねば生きていけないからだ」と答える。ガシェは「世界 world」と言い、ゴッホは「自然 nature」と言っているのだが、会話の中でこのズレは互いに意識されず、すれ違いに終わる。ガシェが「この世は狂っている」と言うとき、それは世俗の人間社会の有り様をも多分に踏まえた何か「荒々しく凶暴な世界」で、ゴッホが言っているのは文字通りの「自然」に限らず世界の超越的な「本性 nature」のようなものだ。ガシェは「世界」を否定して、絵画を「避難所 shelter」(理想化された自然の模倣)と考える古典的な美学イデオロギーの持ち主だが、ゴッホにとって「世界」と「絵画(を描く自己)」との間に質的な隔たりはなく、「自然」はどうしようもないほど仮借なく「完璧」だし、絵を描くことによってそこから逃れることができるなどとは考えていない。むしろ徹底的に肯定しようとする。この「完璧」すぎる「自然」こそ、実はガシェが「狂っている」と否定し、そこから「避難」しようとするところのものだ。
ゴッホが自分の脇腹を撃って致命傷を負うところを映した長回しのショットはなかなか凄い。麦畑の中にキャンヴァスを立てたゴッホが、黒い線を一本だけ引いてみて、おもむろに立ち上がり、麦畑の方へグングン進んでいき、突然バーンと音がして倒れると、たくさんのカラスが一斉に飛び立ち、フィルムの上には「ゴッホの絵」が一瞬だけ成立しつつ、そこには真っ白なままのキャンヴァスが映り込んでもいて、傷を負ったゴッホがそれを抱えてヨロヨロ立ち去っていく。これをほぼワンショットで見せている。アルトマンのフィルムは、ゴッホの肯定性への戦いにおける敗北をも肯定してしまっている。
確かにゴッホは nature とその仮借ない肯定性によって追い詰められているのだけれど、テオもその妻もそれの煽りを食っており、ガシェだって曲がりなりにも絵画を「避難所」と呼んでいるわけで、すると単なる「金の亡者」であるパリのブルジョワや、クリスティーズの『ひまわり』を法外な値段で落札する人も、この肯定性をゴッホに背負い込ませ、肩代わりさせているのだといえる。そしてそれがむしろゴッホの「苦悩する自我」みたいなもの、あるいは「芸術家」という近代の神話的カテゴリーとその内面化を下支えしているのに違いない。ゴッホの奇行に迷惑しているカフェの女将だってやはり「芸術家」を煙たがり、排除することで「一般人」としての生を成り立たせているように見えてくるし、「純粋な人」とか勘違いして近寄ってくる女も何かのからくりに見事にはまり込んでいるように見える。そしてそのような「一般人」の振舞いによって、ゴッホの「芸術家」的アイデンティティはますます強化されるのであり、だから両者は全くの相互依存関係にある。この映画は、「純粋」ゆえに「狂人」だったりもする「芸術家」という存在をブラックボックス的に神話化するのではなくて、「芸術家」というカテゴリーが近代という時代の中で何らかの必要不可欠な両義的因子として構造的に機能していることを示す俯瞰図になっているのだ。ゴッホもクリスティーズも、そこに一様に加担している。このアンビヴァレントな皮肉の感覚は、いかにもアルトマン映画と思う。
何でも「趣味」とか「文化」で括ってしまうブルデュー流の社会学的な制度論だと、芸術活動における差異化の言語ゲーム的側面は捉えられても、芸術へのモティヴェーションそのものが社会的に生成され、構造化されているかもしれないという視点はなかなか出てきにくい。アルトマンは映画監督であって社会学者ではないので、「芸術家=英雄」への平凡なルサンチマンに惑わされることなく、もっと身も蓋もない「世界」を淡々と描くことができるのだ。途中までは映画そのものとしては別にどうということもないなと思いつつ見ていたのだが、アルトマンはやはりいい仕事をしている。

*1:'87年に安田火災が落としたやつだなと思ったが、ネットで調べてみたら絵がちょっと違う気がした。しかし浮世絵など、ゴッホと日本人の腐れ縁みたいなものについては映画の中でもほのめかされている。