なんで…

ずっとテープ起こしの作業。ものすごく疲れる。
また卓球見る。忘れていて、福原愛の試合の、第四セットのデュースになっていく前辺りから見た。相手は20代後半ぐらい。昨日の試合とは全然違っていて、福原愛が専ら反射神経とか集中力で闘っている選手だということがよくわかった。つまり今日の相手はすごくテクニカルな、特殊な運動法則を持っていて、それと比較すると福原愛の動きが何ともいえず単純に見えたということだ。今日の相手の、韓国の選手は、例えばラリーになってバックハンドを連発する時、右足をドンと床に踏み込むのだけれども、その音が、二人のラケットがボールを打つ「コッコ、コッコ」という音とリズミカルに絡んで、まるでブレイクビーツみたいな、音楽的なものになっていたりとか、かなり奥まで食い込んでくる強打を懐深くギリギリまで引きつけて、フワッと包み込むようにラケットで捕まえ、長いストロークでもってネットの方まで送り込んでいったりする。それはもう何か「空中戦」というか、『マトリックス』みたいというか、独特の固さと質感をもった空気の塊がコート(っていうのか?)の周囲に見えてくるような気がしたし、この選手の体はその空気によく馴染んで一体化し、実に気分よく踊っているだけであり、他方の福原愛はというとやはりどこまでも「必死」なのだった。昨日はただ反射神経と集中力の勝負、みたいに見えたのだが、今日は「卓球もきっと奥が深いんだな」などと(当たり前のことを)思ったりした。
しかしそれでも、この韓国の選手は自分の勝ちが決まった瞬間、その場にへたり込んで膝を付いていた。これがまた何とも興味深く、要するにやっぱり15歳の「本気」加減には必死で闘わなければならなかったのだろう。何しろ試合の中身といえば、見ていた限りでは、この選手はひたすら防戦一方で、福原愛が強打をミスすることで得点が加算されていたのだ。持続するラリーは、双方の力の均衡という形のある一つの「関係」であり、福原愛の強打は、その中で何か好機を窺い、一挙に均衡を破ってその「関係」を壊滅させようとする(あまりにも剥き出しの)意志そのものだったのだが、それをただ淡々と空回りさせようとする相手の冷静な戦略の方が何枚も上手だった。次はこういう選手同士が戦ったらどうなるのかと、ますます卓球への興味は高まっていく……なんで卓球なんか見ているのか……。