我に返る

畳み掛けるように原稿書きまくり、追い詰められると48時間ぐらいあっという間にデスクトップで過ぎる。恐ろしい。日曜には「dance today 12」と野鳩を見に行く予定だったのだが、ギリギリまで迷って泣く泣く断念。そして今気づいたらこの前さきらで電話かけて獲った来月の国立劇場のチケット引き取り期限も過ぎてしまってた。忙しくなると前後が全く見えなくなり*1人間関係方面もダメくさいしもう何もかもダメならダメでいいやという気になる。つくづく人でなしだなあと思うがそれを人に言われようものなら何様のつもりなんだと。そんなに偉いのかと。
ポット出版のサイトでやってる砂連尾理さんとの往復書簡も久々に更新。ピエール・ルジャンドルが78年に書いたダンス論の本についてはそこで触れているが、ついでに今年増補新版が出たアガンベンのフランス語のアンソロジー Image et Memoire がダンス論を含んでいるらしいことがわかり、読みたい。フランスのアマゾンなんて届くのがすごく遅いので図書館かどこかでコピーしたいが今のところ大学には入ってないようだった。
先週といい今週といい『怪奇大家族』がつまらなくて落胆している。ただし作り手が間違っているのか自分が間違っているのかが今一つ判然としないというストレスが辛うじて残る。さっきWOWOWでウォン・カーウァイの『花様年華』をやってて、なんでアンコールワットが出てくるのかもう覚えてなかったがラストのところだけ見て、エンドロールでテーマ曲をしばらく聞いていた。センチメンタルなメロディだがいつまでも聞いていたい。しかしメロディは終わりが来るからメロディの体をなすのでありそれを「いつまでも」というのは本質的に矛盾した感情であると思う。メロディに許されるのはたかだか「反復」であって「いつまでも」を求めつつ好きなメロディを延々と反復して聞いたり奏でたりし続けてしまうことほど情けない、惨めな経験はない。

*1:だから時間感覚が失われるのだろう。