たどり着く前に 君を疑わせてしまう

最近のマイブームというか単なる心がけは「人を待たせない」ということで、仕事やメールなどかなり素早く対応する。少しでも置いておくといくつも溜まってズルズル延ばしてしまうし挙句に忘れたりうやむやになったりするから、とにかく何か来たらすぐやる。すぐに片付くものではなくてもとりあえず手を付けておきさえすれば長めのパターなども綺麗に決まることが(今さらのように)わかった。
今日はもう十年ぶりくらいにアテネフランセへ行く。アラン・エスカル監督の映像作品と、大橋可也のパフォーマンス。映像の方も面白かったし、パフォーマンスも大橋の諧謔趣味が炸裂していた。観客はあまり多くなかったが、昨日に続きKさん(瀧口修造展で高橋悠冶の武満を聞いてきたとのこと)、評論家Kさん(流石にこういうところをきちんと)、ダンサーSさんに会った。Sさんと飯田橋まで歩いてネズミーランドの話をした。ネズミーランドは、どんなにバカにしていてもひとたび足を踏み入れると骨の髄まで毒されてしまう恐ろしい場所であると思う。あの清潔な空間を一歩歩くごとに急速に恥の観念が消え失せていき、帰る頃には帰りたくなくなっていて、外に出れば日常世界との強烈な摩擦に悶え苦しむことになる。世界が実に薄汚く、汚らわしく、浅ましいもののように感じられてしまう。だからぼくはネズミーランドには行きたくない。
池袋に移動して清水崇アメリカ資本で作った『THE JUON/呪怨』を見る。映画館にもずいぶん来てなかったしここしばらくヴィデオでも見てなかったので、Mちゃんに誘われたおかげで映画を見るということの興奮を久々に味わった。ダサい予告編が全て終わるタイミングで席に着く。リメイクということもあってか、あんまり怖くなかったがそれなりに楽しい。Mちゃんはホラー全くOKでしかも冷静に分析的に見ている。ぼくも分析はするが、Mちゃんのように先を予測しながら見るということまではしてない。いい歳になっても、暗い廊下とかを歩いていると急にいきなり怖くなる(怖いという気分になる)ことがある。後ろに何かいるのではないか、とか思ってしまう。そう思うともう振り返れなくて、振り返らないから確かめることもできずますます怖くなる。そんな、幽霊なんかいるわけない、子供じゃないんだから、と自分に言い聞かせる声が、ますます「自分が自分を説得にかかっている」という紛れもない事実を意識させる。するとつまりこの「自分」は確かに何かを怖がっているわけであり、ということはこの「自分」を怖がらせる原因が「自分」の外にあるはずだ、との推論が成り立ってしまい、じゃあやっぱり幽霊はいるのだ、と考えざるを得なくなる。漠然とした予感が確信に転じようとするこの意識の流れは何度も何度も波のように腹下しのように襲ってくる。どうして突然「怖くなる」のか、その動機が(例えば脳内プロセスとして)解明されれば全ての片は付くだろうが、それはほとんど「どうしてお腹が減るのか」と考えるようなものかもしれない。