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Village Voice に載ったデボラ・ジョウィットのレヴュー試訳*1。NYで5月に開かれた「SOLO / DUO: Showcase for Emerging Japanese Dancers & Choreographers」での手塚夏子は反響を呼んだようで、他にもどこかで言及されているのを見た覚えがある。とりあえずジョウィットが手塚夏子を見た(しかも gripping と評している)という事実がすでに、何というか、エキサイティングである。原文は こ こ

デボラ・ジョウィット「現代的なもの、不変のもの:アジアの振付家――ポップ・カルチャーの先端をひた走る作家たち、伝統の深みを測量する作家たち Timely and Timeless: Some Asian choreographers ride the pop culture bandwagon; others plumb their traditions」(2005年5月31日)

Solo/Duo、ジャパン・ソサエティ、5月20〜21日。Dana Tai Soon Burgess & Co. 、アジア・ソサエティ、5月21〜22日。

 ジャパン・ソサエティが2005年春の企画に冠したタイトルは「クール・ジャパン:オタクの急襲」。ポピュラー文化への熱狂を意味するオタクは、現在ソサエティで開催中の美術展「リトル・ボーイ:爆発する日本のサブカルチャー芸術」の中心テーマである(「リトル・ボーイ」とは、広島に投下された原爆と、マンガやアニメなどの幼児的なイメージの両方を意味する)。日本のマンガ本やアニメーションに登場する、巨大な目のベティ・ブープのようなキャラクターたちは、滑らかな線と鮮やかな色彩で描かれた暴力的な光景のただ中で生きているというわけだ。劇場では、まず天野由起子のヴィデオが流された。怪我のためこの新進振付家ショーケースに出演できないことを愛らしく詫びる走り書きの様子を撮影したものだが、ひょろひょろしたキャラクターと独特の英語("Today is really sorry"〔今日は本当に残念です〕)で、まるで子供の図画工作を思わせるスタイルになっている。
 女子学生のようなチェックのスカートと黒いブラウスを着た手塚夏子は、開演に先立って、まず美術展示とダンス・パフォーマンスの間を架橋してみせた。ごく遅い速度で、ガクガクと震えながら、ロボットのようにこわばった動きでロビーを横切って歩く。自分の目の上に紙でできた巨大な目を貼り付け、紙でできた耳で自分の耳を覆っている。一方の目を取り外してシャツにくっ付け、もう一方を脚に、そして両耳を別の場所に動かすと、回路が壊れて、動きがふつふつと現われ始める*2。一瞬、自分の目を大きく見開くと、紙の目や耳を元の場所に戻し、立ち止まって震え出す。
 手塚の『私的解剖実験―2 Anatomical Experiments II』には引きつけられた。彼女は低い舞台の上に横たわるのだが、一部の任意の観客は彼女の脇の席に座る。照明がその熱心な表情を照らし出し、何やら検死解剖を連想させられてしまった。観客席に座った我々には双眼鏡が配られる。手塚は再び、体をこわばらせ、痙攣のようにピクッピクッと動く。指は広げられ、足は波打ち、まるで凍りついた自分の体を解き放とうとしているかのようである。少しずつ、何とかして立ち上がり、挙句にはディスコのように体を激しく振り回す。しかしそれでも自由を得たというわけではない。スタッフが水を差し出すと、手が自分の口をうまく見つけられない。最後の場面ではビールが出てくるが、振り回す腕の動きが止まらないので、飲むよりも、多くをこぼしてしまう。
 その場を動かないまま、手塚の顔は喜びから悲しみ、驚き、恐怖の表情へと機械的に変化していく。同様の、身体の特定部位を分離してみせる手法は北村成美の『i.d.』にも見られた。前屈みになり、頭の上にスカートをまくり上げた北村は、赤い下着をつけた尻をスポットライトに照らして見せつける。音楽はサン・サーンスの『死の舞踏』の、質の良くない録音である(これらの振付家たちの音楽の使い方はひどく折衷的〔元の文脈などに無頓着〕だ)。レッド・ブル〔アメリカのスポーツ・ドリンクのメーカー〕か何かの缶飲料を飲みながら、唇をいちいち大袈裟に舐め回す。エネルギッシュに走り、跳び、あるいは麻痺したかのように大人しくなる彼女の背景には、よりスリムでスタイルの良いシルエットがヴィデオで映し出され、時折り大きくのしかかってくるように見える。戒めの意味だろうか、理想像なのだろうか。
 砂連尾理+寺田みさこの『あしたはきっと晴れるでしょ It Might Be Sunny Tomorrow』はポップなイメージ表現を避けている。一人の男、一人の女、二つの椅子、和やかな疎外感〔親しみやすい異化効果〕。『愛の喜び』、メンデルスゾーンの『結婚行進曲』、ロシア語らしき男女の会話の録音などといった多様な音楽・音響を用いながら、二人は椅子を動かし、その上に乗り、ステージの上を縦横に使って対位法的な動きを広々と展開していく。いずれも良いダンサーである。作品は始まりと同じく、寺田が、一方の袖から空っぽの舞台へと倒れ込んでくるシーンで幕を閉じる。ここにはゴジラ〔=原爆、第二次大戦の象徴〕はいない。ただ昔から引き継がれて来た、退屈な結婚生活のみがある。

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 ワシントンDCの振付家、ダナ・タイ・スン・バージェス Dana Tai Soon Burgess の『痕跡 Tracings』は、タイトルにある通り、1903年に日本領朝鮮からハワイへと移民した、彼の曾祖父母の足跡から想を得た作品である。彼ら彼女らは、子孫ともども、デル・モンテのパイナップル・プランテーションで労働に従事していた。作品は、新しい生活の始まりをめぐる繊細な織物とでもいうべきもので、朝鮮の清めの儀式であるクッを想起させるような強い祭儀性を帯びている。ジュディ・ハンセン Judy Hansen の衣装は全て白、ジェニファー・ティプトン Jennifer Tipton の落ち着いた照明は舞台上の様々な場所に金色の淵を作り出す。アーロン・レイトゥコ Aaron Leitko とジェイソン・カオ・ファン Jason Kao Hwang(一部分のみ担当)の音楽と音響のデザインは、大部分が穏やかで、幻想的なものだ。軽やかなパーカッション、微かにアジア的なハーモニーとメロディ。
 映写されるスライドは、船、椰子の木、広大なパイナップル畑、若いカップル、家族の姿などを映し出す。しかし、ただ配布されたプログラムによってのみ、振付家の母親、職工の頭であるアンナ・カン・バージェス Anna Kang Burgess(舞台には二度登場する)が14歳の時にパイナップルを収穫していて両手に傷を負ったという事実を知ることができる。演者たちは、重々しくも流れるように動き回る。多くはユニゾンであり、まるで隊列を作って泳ぐ水族館の可愛い白い魚たちのように見える。儀式ばった仕方でやり取りされるパイナップルも白い色をしている。そればかりか、スーツケースも、時にニタドリ・ミヤコ Miyako Nitadori が顔につける伝統的な朝鮮舞踊の面も、また彼女が自らの身を清めようと、あるいは精神の安寧を得ようとして振り動かす布も、全てが白なのである。
 出来事は抽象化されており、高度に凝縮されている。四人の女性が踊っている間、三人の男性ともう一人の女性は舞台の四隅で、それぞれに抱えたパイナップルを開いたスーツケースの中に置き入れては、また別のパイナップルを取りにどこかへ去る、ということを繰り返す。「収穫」の表現。髪を下ろして不安げな表情のシュチェン・クフ Shu-Chen Cuff は、両腕を振りながら、ニタドリとコニー・フィンク Connie Fink の傍に腰かける。二人はクフの長い黒髪をグイッと引っ張り、すると彼女は髪を結う。三人は踊る。「成長」を表しているのだろう。“タチ”・マリア・デル・カルメン・ヴァッレ=リエストラ "Tati" Maria Del Carmen Valle-Riestra とバージェスの、優しい控え目なデュエットは、曾祖父母たちの結婚と、それ以前、および以後に起こった一切のことを表現している。
 動きはエレガントで、しばしば想像力に満ちた造形と連結を示し、穏やかに浮き沈みしながら運ばれていく。漠然と、朝鮮の伝統舞踊を思わせるところがある。演者たちの首はよく動き、腕の振りは流麗だ。武術や、ちょっとしたポストモダン風の倒れる動きなども、(それほどよくフィットしてはいないものの)教室で行われるような高い体側のエクステンション〔high side extensions〕とともに、有効に機能している。あまりにも静かで穏やかな踊りは、観客を眠りに誘いかねないほどだが、そもそも魂の鎮静を意図して作られた作品なのであり、つまりその狙いは成功しているわけである。

「Solo/Duo」のショーケースは一応「リトル・ボーイ」展と連携しているので、村上/椹木的なコンテクストとの接続は多かれ少なかれ意図されてるのだろうが、今ここでいきなり直ちにそういう話にするとなると、今まで散々「原爆」とリンクされてきた舞踏と競合してしまう。もちろんそこに一つの理論的(?)課題が生じるともいえる。少なくともここには舞踏のことは全く触れられていないし、手塚をその線で理解しようという気配すら見られないのはむしろ意外なくらいだけれども、「オタク」という概念の射程の深さとその適用の仕方によっては、何か面白いことがいえそうな気もしてきた。60年代と00年代の間の距離をうまくつかむこと。また韓国はあからさまに舞踏やポストモダンダンスの契機をくぐって来ていない状態なわけで、そういう他のアジア諸国と日本との差異の歴史的な文脈化という作業もまだ丸ごと手付かずのままといえる。

*1:自信のない箇所がいくつかあるので指摘乞う。

*2:ベルメールアナグラム