どうなっているのか

シーズンなので公演の数が多く連日見て回っているがNYのダンスは本気でつまらない。特に先日のDUMBOフェスでは30本くらい見たのに何もなく大変な心的ダメージを受けた。キャリアのある人も若い人もとにかくどれもみんな似たり寄ったりで何を見てもだいたい同じように見えるのに、評判は良かったり悪かったりする。これをどう解釈すればよいのか?
1、多くの人が口を揃えて言うように、本当に今アメリカには面白いダンスがない。
2、単に自分がまだ面白いことをやってる人たちのいる場所に到達できてない。
3、アメリカ特有の価値観というかコンテクストを理解できてない。
ダンスの「中心」が七十年代末くらいにNYからヨーロッパへ移ったとはよく言われるが、そのヨーロッパももう別に「中心」ではない。どこが「中心」というようなこと自体が今やナンセンスで、しかし、ということは、アメリカのこの状況はアメリカ特有のものとして尊重され理解されねばならないのかも知れない。その場合、気になるのはショービジネスの伝統だ。とりあえず週刊の『ヴィレッジ・ヴォイス』と『タイム・アウト』で公演情報が行き渡り、新聞にきちんと載るレヴューが集客を左右する。この新聞のレヴューは、自分が見た公演について書かれたレヴューを読むという経験をしてみて実感したが、ほとんど無内容である。評者の主観的な趣味で判断が下されているだけで、論理的な説明は何もなく、それを読むことでダンスへの洞察が深まるということもない*1。ただイエスかノーかが大メディアに載って流通し、それを見てお客が来たり来なかったりする。また、当日パンフなどの三分の一かそれ以上は、寄付金を出した人々の名前のリストである。大きな公演やフェスティヴァルともなれば、初日はガラと呼ばれ、ディナーなどが付いて高額の入場料が設定されたサロンであり、この日の収益によってフェスの運営の一部は賄われる。こういったショービジネス的な消費のメカニズムは例えば日本とは全く違うし、インドネシアとも全く違う。見栄えは悪いが批評精神に富む実験的なダンスではなく、ただウェルメイドな仕上がりに毒にも薬にもならない知的で優等生的なプラスアルファのついたダンスが喜ばれ、時々ふざけた連中が出て来たかと思うとTVか何かのようなノリで笑いをとる。他人事ながら大丈夫なんだろうかと思う。

*1:「自分の趣味には合わない」などと平気で書かれていたりする。趣味を持ち出したらそれはもう批評ではない。しかし新聞となると一日くらいで原稿を仕上げねばならないのだから、この無内容ぶりも無理はないだろう。