年末になってまた締切に追われたりして、大晦日もパーティーへ行かずに一人で家にいた。しかも食事してビール飲んでちょっと転寝していたらいつの間にか年を跨いでしまうという、非常におマヌケな新年の迎え方をした。
元旦は午後からグランド・セントラル駅へ向かい、Metro-North に乗り込みビーコンまで。これに乗るのは三度目なのでもう慣れている。駅の地下でツナ・パニーニとダイエット・コークを買って、途中ずっとハドソン川が見える西側の窓ポジションを確保。7ドルくらいしたパニーニが鬼のように不味く落胆しながらも、大小の氷が浮いた川をのんびり眺めながら進む。マンハッタンから少し北へ行くともう雪が積もっている。持ってきた本は一度も開かない。近くの席のファミリー(親戚一同?)が映画の話でずっと盛り上がり中。新作が封切られるとみんな、当たり前のようにすぐに見に行くのだろう。劇場なども、NYでは「番組」という観念が生きている。どこの劇場で何をやっているかという知識、あるいは特定の劇場には番組が変わる毎に出かける習慣、こういうものは例えば歌舞伎座のそれの如く古典的なもののように思える(事実ぼくもDTWの番組はほぼ毎週見ている)。一時間半ほどでビーコンに到着、駅に着くとZが迎えに来てくれていた。車で少し走って自宅まで。Zとは昨年の夏に白州で出会って、秋に舞踏フェスで再会、その時に元旦パーティーに誘ってくれたのだった。地域のことなどあれこれ聞きながら到着、奥さんのKさん、子息のK君(二歳)、先客のJに会う。K君はすごい勢いでアニメのように軽快に床でクルクル前転を繰り返している。第一回舞踏フェスの時にZと共演したミュージシャンであるJとは初対面だが、今年の舞踏フェスか何かでぼくを見かけたらしく何となく記憶していてくれた。K君はぼくのことを忘れていて最初人見知りしていたが、すぐ何かの拍子に仲良くなって、ふざけたりしているうちに大騒ぎになってしまった。NYに来てから最も大きく変化したことは、なぜか子供に対して照れずに接することができるようになったということで、Jに子供がいるのかと聞かれるほどうまく遊んであげられる。くるくる回ったり動作を真似したり隠れて現れたりすると喜ぶ。興奮した子供を見ていると、そのあまりの自由さに、全てのダンスはこれのパロディなのではないかと思えて来た。いきなり走り出していきなり止まってどこかをじっと見つめたかと思うと向きを反転して叫びながら数回ジャンプして走って転んで、すぐ起き上がって二三歩走り止まってどこかを見つめながら「おーっ」と大袈裟な驚いた表情をした後、勝手に爆笑しながらどこかへ消えてしまう。笠井叡…。Z側の友達はぼくとJなのだが、Kさん側で呼んだ友達がなかなか現れない。ビール飲みながら、K君とコンタクト・インプロみたいに床を転げまわったりして待つ。やがてYさんとJの夫妻、KさんとBの夫妻が到着。Yさんは宮古島の出身、Jは海兵隊員。クルーカットで早口で身のこなしが締まっていて機敏で、初めて本物の軍人と会った。二人の子息とK君の三人が集まって大騒ぎしているのを見て自分の子供の頃のお正月を思い出した*1。KさんとBの息女Sはまだ八ヶ月なので遊べない。皆で早速Kさんの手になる御節料理を頂く。日本の食材はニュージャージーで手に入るとのこと。黒豆とか栗金団とかに、象徴的な意味があるという事実はほとんど忘れていた。散らし寿司など久しぶりに日本の家庭的な味を堪能させてもらいながら、アメリカ式にか日本式にかわからないが男衆と女衆に自ずと分かれて、ぼくらは日本酒を酌み交わしてあれこれと喋っていた。JのアコーディオンでZが踊った時の映像を見せてもらい、その後他のダンスのヴィデオなども見る。しかしダンスに取り立てて興味がない人の前でダンスを見ていると、ダンスしたりダンスを見たり、あまつさえダンスについてああでもないこうでもないと語ったりするその行為の異様さが実感される。すごくヘンな行為だと思う。しばらくして二組の夫婦は帰って行き、残ったぼくらはZの絶賛する80年代オーストラリアのヘンなニューウェーヴミュージカル映画を見て(タイトル失念)、途中で終電の時間が来たのでKさんの運転で駅まで、しかしホームに電車が入ってきており、走ったがタッチの差で逃してしまう。Jは電車をガンガン叩いて先頭車両に向かって叫んだがドアを開けてはくれなかった。彼はマンハッタンに軽いアルツハイマーの祖母と一緒に住んでいるのだ。今日は帰れなくなったと電話したら、息切れしているので「誰かに追われているのか」と心配されたらしい。彼女はどんな些細な情報からも常に「最悪の事態」を想像せずにいられないのだという。仕方ないのでまた家に戻り映画の続きを見て、さらに北野武の『Dolls』を見る。ぼくは二回目。『ソナチネ』以降の北野は「腐っても鯛」だがここまでボロボロに腐食してもまだ鯛であり(例えば冒頭の文楽の場面で観客席を正面からドリーで真横に素早く移動撮影するショットなど天才的な異様さ)、腐らせ方によっては珍味になるのに、本人は自己流で「創作料理」のようなことをしている。「創作料理の店」、すなわち中途半端な郊外の住宅街の中にいきなりある家族経営の浅いフランスかぶれみたいなキッチュでメルヘンなレストラン…。Kさんは以前、東京で占い師をして生活していたことがあるらしい。「占いライター」という単語が妙に印象に残る。映画の前半はほとんどセリフがないのでJもついて来ていたが、全員だんだん眠くなっていたら、突然浜辺に深田恭子が出てきて、次のショットでいきなり大音響でお歌が始まったので、眠っていたZが何事かと驚いてビビクンと目覚め、あわててTVのスイッチを消してしまい、それで皆とりあえず仮眠することに。4時半頃起きて、Kさんにまた駅まで送ってもらい始発に乗る。Jに、NYでも電車の乗客はよく寝てるよね、ロラン・バルトが『表徴の帝国』で日本人は地下鉄に乗る時「夢への切符」を買うのだとポエティックに書いていたけど、確かにパリの地下鉄ではみんな寝てないけどNYは寝るよね、という話をしてみたら、やっぱりフランス人は「東洋」的なイメージをかぶせたがるんじゃないの、と言われて、ああ「眠り」とか「夢」とか、そういうことなのかなあと思って面白かった。皇族は権力がないけどタダで暮らせてラッキーだねと言うから、でもゴシップのネタになってて結構悲惨だと言ったら、なるほどマスメディアのゴシップ報道が「神話」の役割を果たしてるんだねとまた面白い話になったりした。途中の駅でなぜか乗り換えがあり全員降りる。乗り換えた列車はほとんど各駅停車で、知らない駅に頻繁に停車しなかなか着かない。Jのアコーディオンバンドネオンの歴史の話を聞いたりしながら、朦朧とした頭で、永遠に新しい駅が次々と現れて永遠にこの電車から降りられないのではないか、あるいは降りられたとしてもそこにはZがいてまたビーコンに連れ戻されるのではないか、などとバカな話をし始めていたが、6時半頃グランド・セントラルに着き、シャトルタイムズ・スクエアまで行って、そこで別れた。家に着いて大阪のMに電話して、二時間くらい寝てから、日本時間の0時前に再び電話でMの誕生日のお祝いをしてから、夕方まで寝た。

*1:子供同士が出会うとすぐに社会が生まれて、力関係が生まれるのを観察した。床や物とは意のままに戯れることができるが、他人とはそうはいかない。モノとモノの間に「心理学」が介在するようになる。いつも、ソロと複数とではダンスというものの質が全く異なるように感じていたのだが、その核心はこの「心理学」にあるように思う。つまり自他の「内面」が、表層のコミュニケーションの背景として、解釈の「地平」として立ち上ってくる。他人の動きに対して、解釈は遅れたり先走ったりしながら、自分の動きを動機付け、思考が身体を操作・制御しがちになる。この思考と身体のズレが、ソロの動きの自由さ(ソロにこのズレがないのかといえばそうではないとはいえ、如何様にも処分できるがゆえに相対的にその意味は小さなものに留まる)を阻害するのだとすれば、このズレを解消してしまおうとする仕方が、超越者=振付家とその他大勢のダンサーというヒエラルヒー(典型的にはマスゲームのような)だったり、あるいは「共同体」の観念であったりするのだろう。心理/身体/思考の分離状態、これがダンスにおける政治的な賭金=争点であり、これへの姿勢が個々のダンスのイデオロギー的な性質を評価する基準になるかも知れない。