日曜の午後、Mとコニーアイランドへ出かけてみた。地下鉄D線の端までゴトゴト行き、降りるとノンビリ寂れた駅前、小雨が降ってゐる。今思い返してみると記憶の中でその光景は『シェルブールの雨傘』のような、というかその映画のどこかを正確に想起して重ねているわけではなくて何となく漠然と昔のフランス映画のような、いやむしろ正確に思い出すとすればメルヴィルか何かの映画で(今度はタイトルが思い出せない)、波をかぶる海沿いの幅広い道の反対側に低い建物がずっと並んだショットがあって、そんなようなイメージに侵食され始めている。閑散とした道を歩いて水族館へ向かう。近くの遊園地は春から夏しか営業しないため、全部止まったまま雨に濡れている。浜に面したボードウォークにちょっと出てみると海と雲がどこまでも広がっている。風が強く寒いので水族館へ入る。閉館までもう1時間もないが、ざっと見て回れるくらいの程よい広さだった。水槽があまり綺麗ではなく、配列も時々ヘンだったりする。珊瑚礁の魚の隣にいきなりピラニアがいたり、ハコガメとイグアナが入った水槽があったりする。何十年生きているのかと思うような巨大なロブスターが水底にじっとしていた。至るところボロボロになって、体は青や緑に苔むしているが、古い機械のようにひたすら触角や口の近くの小さな脚を動かしていた。もう大して動き回れないのかと思って見ていたら少し身をよじって、また同じ場所に落ち着いた。それから巨大な海獣の類を見て、タツノオトシゴ特集を見て、一つしかない大きなサメ水槽を見て、クラゲ特集を見る。クラゲの展示は完全に「宇宙人」ないし「UFO」のイメージで展開されており、ビヨーンビヨーンという電子音が鳴っていたりして、このように自分にはあまりピンと来ないアメリカ人専用の「ステレオタイプ*1に触れることは興味深い。面白かったのは大きな四角いガラスの背景を奥から真っ青に照らして、その青の前に白いクラゲを点々と浮かび上がらせた水槽で、この美しさはほとんど芸術的といえる。ガラスに顔を近づけて見ると、視界が全て青になり、奥行きが消え、距離感覚が失われ、目の前ともはるか遠くともつかない「そこ」をクラゲがゆったり斜めに通過していく。こういう趣向は日本とはずいぶん違うように思える*2。閉館の時間が来て数組の家族連れとともに追い立てられながら表に出るとセイウチの前でヴォランティアのおばあさんにつかまった。セイウチの牙は、ここでは敵と戦ったり、氷の下から穴を開けたり*3する必要がないので抜いてあり、もし抜かないままにしておくと伸び過ぎて脳に刺さって死んでしまうのだという。グルッと一周して脳天に刺さるのだろうか?*4途中から横で聞いていた家族連れの父親が、おばあさんの話の呼吸の合間を突いて何か質問をしたと思ったら、閉館は何時?とつまらないことを聞いて場を白けさせ、しかも時計を見たらもう15分も過ぎていることがわかり、おばあさんの解説はやや気の毒なフィナーレを迎えた。水族館を出てまたボードウォークに行ってみる。ほとんど誰もいない砂浜に入って波打ち際まで進む内に、カモメの群れが陸の方から海の方へ悠然と低空飛行していった。潮はだいぶ引いており、水の傍の砂地は固い。海の方を見ると、入り江になっているのか左右に陸地が見える。小さいタンカーが一隻、沖へ向かう。高くはないが密集した勢いのある波浪が騒がしい。海上では雲が大きく切れて晴れ間が見えている。ピンク色の光が反射して波が同じ色に染まっている。振り返ると近傍のマンションの窓にまばらに明かりが点り始めていた…こんな風に細部をいくら積み上げてみても仕方ない。描写し尽くせないままに、ただ生涯忘れないだろうと思う。ボードウォークに戻って右手に休業中の遊園地を見ながら歩く。ずっと向うまで続いている木の板の道。また明らかに何かの映画で見たような景色。コニーアイランドの印象についてはレム・コールハースの『錯乱のニューヨーク』で読んだ、遠い過去における未来のイメージから強く影響を受けていると思う。駅まで歩き、N線に乗ってチャイナタウンへ。旧正月なので大量の爆竹やクラッカーの残骸が散らかった上に雨が降って道はどこもドロドロしている。Hちゃん、Yちゃん、Rさんの待つレストランへ大幅遅刻して到着、先週わずか10日でヨーロッパ五カ国を回って来たHちゃんの土産話などを聞きながら、ロブスターや海鮮スープなど美味い。Yちゃんとは別れ、1線でDTWへ行く。Kさん、Rちゃん、出演していたMちゃんと合流して帰る。

*1:例えばエイを描いた広告イラストなども、エイの顔の部分を真横からとらえていて、パッと見ほとんどサメの一種に見える。エイとサメを近似的に表象することは分類学上は全く正当なことだが(ともに軟骨魚類)、広告にこういう描き方ができるということは、これは単に「科学的」な知見を表現しているのみならず、それがアメリカ文化のエピステーメーを多かれ少なかれ有効に構成している事実をも表現しているだろう。

*2:他にも背景にヴィデオがハメ込まれていたり、あるいはタツノオトシゴの乱獲(漢方に用いられる)の状況を展示したり、見せる側の主体性を感じた。

*3:セイウチのこの活動については知らなかった。

*4:セイウチ、アザラシ、アシカ、トド、オットセイの区別が覚束なかったのだが、英語ではさらにWalrus、Seal、Sea Lion、Fur Sealなどとなっていてますますわからなくなった。わかりやすい解説がここにあった。