旅行のことを書きたいが書き始めると長くなるに決まっているので後回しにせざるを得ないと思ったがやっぱり忘れてしまいたくないのでなるべく手短に書いておく。
1(土)夜、MとともにJFK発、深夜サンフランシスコ着。
2(日)駅のそばの観光案内所へ行ってみたら日曜だからといって休業している。突然声をかけられ振り返るとJだった。3月後半から4人で西部を自動車で旅行していて、SFではちょっとカブるねと話してはいたがまさか街中で偶然会うとは。ヴェガスではだいぶスッたとのこと。Jと別れて路面電車のようなもの(ケーブルカーとは別)で北部のフィッシャーマンズ・ワーフへ。アルカトラズ島へのフェリーの切符は売り切れていたので明日の昼の分を買い、ノルマンディー作戦に参加したという戦艦をダラダラと見学。レストランで昼食、地ビール、エビが美味かったが、露店のエビやカニのカクテルの方がさらに安くて大量に。濃いソースをつけて食べるものらしいがそれでは食感しかわかるまい。雨が徐々に降って来る中ブラブラ歩いてギラデリのチョコレートパフェを食し、表へ出てケーブルカーを待ったがずぶ濡れになりつつあったので諦めてタクシーで帰る。『ダーティーハリー』などで見たまさにそのまま、あきれるほど坂が多い。というか平らな道が全くない。
3(月)また雨模様。タクシーでまずゴールデン・ゲート・ブリッジを見に行く。巨大な赤い橋が霧雨に煙っていて雄大な景色。遠くには反対側の岸や島が見える。フィッシャーマンズ・ワーフへ行き、アルカトラズ島へ。フェリー乗り場で無数のアシカが船着場に身を投げ出して寝ている。アルカトラズは60年代に閉鎖されて建物は半ば廃墟の様相。たくさんのカモメが住んでいて、ラピュタみたいだった。監獄の中をヘッドフォンの音声案内で見て回る。アル・カポネのいた獄舎や食堂など、そして脱獄事件の顛末を追体験させるような仕組になっているのだが、音声に従ってあちこち引き回されている自分たちもまた何か囚人のような気分だった。フェリーで戻ってまた昨日とは違うレストランへ行き、さらに露店でエビを食い、近くをウロウロしてケーブルカーに乗る。座っていればまだいいが、外側に立っていると自動車などとスレスレですれ違う感じが、そしてそういう危なっかしさを許容してしまうこの乗り物のコンセプト(いくら観光客向けだとはいえ)が何ともアジア的である。事実ここへ来てすぐに感じたことはアジア率の高さで、NYと比べるとずっと中国人などの存在感が強く、他方アフリカ系の人々が少ない。夜は少し市街から離れて、Cがセッティングしてくれたディナー。玉野黄市氏の寿司屋に集まる。ベルリンから来ているはずだったKさんはスイスに行っていて会えなかったが、その仲間のSさん(ヴィデオで共演しているのを見たことがある)には会えた。ぼくと同じACCのグランティーでバリでの世話をしてくれたKさんにも再会。Bは日本のダンスにも強く、ニブロールの(まともな)理解者。Sはここで身体気象(Body Weather)の実践をしている。SとKさんは明日アンナ・ハルプリンのところへ行くというので同行させてもらうことに。帰りはBが車で送ってくれて、車中で色んな話をした。contemporary danceというと一般にはあまり評判が良くなく、それは独り善がりな実験というイメージが広まっているからだという。確かにアメリカのダンスを見ていると、何をやっているのかわからない(何をやっているのか考えなくてはならない)系統のものが多い。つまり作り手が頭で考えてそれを上演する(現前させる)というステップを踏んでしまうのだ。ぼくはこういう「アート」っぽい「作品の提示」という仕方がいやで、ある時期から現代美術にほとんど関心をもたなくなり、その代わりにダンスを見るようになった。つまり日本のダンスにはそういうもの(コンセプトの提示)とは一線を画した表現の形式がある。現前していない何かを現前させるというだけの薄っぺらい「現前性」などではなくて、その都度その場で引き起こされる予期し得ない「出来事」としてのライヴなもの。NYで見るほとんどのダンスは、前者のような現前性で満足してしまっているように思える。繰り返し練習して、同じものを何度でも再現的に提示できるようにする。そういうものは、ダンスというより(広い意味で言って)「演劇」だろうと思う。
4(火)また雨、チャイナタウンへ。騒がしい店先をすり抜けながら歩くと『ブレードランナー』のような雰囲気。昼は香港式の飲茶。とにかく何もかも美味くてつい食べ過ぎてしまい、胃の膨満感に苛まれながらバスで移動、マリリン・モンローが結婚式を挙げたという教会をのぞく。ミサをやっている後ろでちょっと居眠りをし、近くのコイト・タワーへ向かう。坂がきつくて歩くのが大変だったが展望台から市内を一望。戻って Yerba Buena Center for the Arts へ行ってみる。ブラックパンサー党の展示をやっていたが時間もなくカタログも未完成で何も見られず。劇場のプログラムなどを見るとNYからもたくさんダンスが来ている。ポール・テイラー、ダグ・ヴァローン、ロナルド・K・ブラウン、ベベ・ミラーなど。もちろん地元のダンスもあるようだ。Mと別れて地下鉄で移動し、一緒にハルプリンのところへ行くKさんと落ち合い、車を出してくれるBの自宅へ。Bはグラフィック・デザイナーだが体も動かしている。さらにAも加わって四人で出発、昨日見た金門橋を渡る。凄い長さ。山奥の、もはや伝説的といっていいスタジオで、クラスを見学させてもらう。ハルプリン氏は気さくな方で、自分は一切デモンストレーションをせず(参加者が模倣してしまうのを避けるため)、解剖学的な知識をベースに体や空間への認識を促しながら個々が自分の動きを作り出していくのを助けるのだと説明してくれた。ちなみに今リヨンでハルプリンの回顧展「Anna Halprin a l'origine de la performance」が開かれていて、そのカタログも入手できた。たくさんの写真の付された長いインタヴューはバウハウスからレイナー、ブラウンそして現在まで一気に貫通していて相当な情報量。さらにラ・モンテ・ヤングやテリー・ライリー、シモーネ・フォルティらへのインタヴューも。ここ数年レイナーやブラウンの回顧展もあったし、この辺りの再検証が盛んな気がする。ポストモダンダンスというと、サリー・ベインズがレイナーの『トリオA』を中心に定式化した「分析的ポストモダンダンス」、あるいはカニンガム/ケージを核とする「脱中心化」の流れ、さらには外山紀久子が扱ったトワイラ・サープのような「引用、パロディ」の傾向などいくつか考えられるが、他方でハルプリンや、エレイン・サマーズ、あるいはデボラ・ヘイのような流れもあり、これが舞踏とかなり親和性を持っているのではないかと思う。帰りはSの車でKさんと三人、真っ暗闇の中、山道を走り出すとすぐに鹿が三頭こっちを見ていた。
5(水)朝タクシーでオークランド空港へ向かい、午前中にLA。だだっ広く片側四車線も五車線もある白い道路が強い日差しに晒されている殺風景な眺めはまさに独特のもので、無味乾燥な明るさが奇妙に気を滅入らせる。タクシーのカーラジオ、巨大な看板、人の歩いていない道に並ぶ高いヤシの木、何もかもが何かの映画を思い出させる。隅々まで「映画」の充満した空間。「イメージ」のような空間。安さ優先で選んだサンタ・モニカの宿泊先は大きな道沿いのモーテルで、これもまた、スクリーンに現れる度に既に「いつものあれ」として記号化を経てしまっているような、不思議な既視感を覚える場所。苦労してバスに乗り、サンタ・モニカ・ビーチの近くの歩行者専用のショッピング街へ行き、レストランで食事。またバスで帰る。
6(木)午前中からUCLAへ行き、ダンスの研究者であるジュディ・ミトマ氏にお会いして二時間くらいお話をした。何よりも面白かったのは彼女の、コミュニティとダンスという視点。多民族が暮らしているカリフォルニアのような土地では、それぞれの民族的・文化的コミュニティが独自のダンス文化をもっており、あるダンス実践の動機も目的もそのコミュニティに帰属している。それに比べていわゆるモダンアートとしてのダンス、とりわけ「実験的」なダンスは、往々にしていったい何のためにそれをやっているのかがわからないことが多く、結局個人の独善的な行為に陥ってしまいがちである。こういう視点は、同じ多文化都市とはいってもNYではなかなか出てきにくいように思う。なぜならNYではあらゆる文化的差異も、儀礼性を剥奪されて、結局は一つの消費文化のサイクルの中に取り込まれてしまうからだ。しかしジュディの議論を一歩進めれば、実はそうした消費文化あるいはモダンアートもまた、一つのグローバル化した儀礼的行為なのだともいえるのではないか。事実、例えばクラシック・バレエダウンタウン系のダンスとでは明らかに「人種」が異なる。それは両者の価値観が違うからで、突き詰めればそれは「信仰」の差異だといえてしまうのではないか。しかしそこで、価値観や「信仰」といったファクターそのものを対象化し、崩すことが「モダンアート」には出来るようにも思う。そうなればまた話は違ってくる気もする。こんな話題とつなげられば良かったのだが、ぼくの「動物化」とダンスをめぐる議論はジュディの視点の具体性に比べるとどうしても抽象的なものになってしまった。コジェーヴのいうような、茶道や切腹(いわば「型」の文化)が人間の「動物化」(動物性ではない)なのだとすれば、同一的なものの反復を志向すると同時にそれによって差異を作り出そうとするダンスは、「動物化」を、完了した「歴史の終焉」として表象してしまうのではなく、完了され得ない「例外状態」へと解放する。しかしこういった議論を、素朴なアイデンティティ闘争が切実なものになっているようなコンテクストに導入することはとても難しい。どうしても能天気なポストモダニズムになってしまう。この後ジュディの授業を聴講させてもらった。新入生向けの内容らしかったが、映像とダンスに関する授業で、この日は『イントレランス』に出てくるルース・セント・デニスが振り付けたシーン(『ファントム・メナス』などを普通に見ている今日の学生の目からすると「本物の」人間が大量に、超ロングショットの画面内にひしめき合っているさまは驚きであるようだ)を見たり、カタカリのドキュメンタリーと、マーサ・グレアムのポートレイト・フィルムとの比較をしたりした。ちょうど次のコマで、シモーネ・フォルティ氏の即興のクラスがあるというので面会させてもらった。フォルティは幼児や動物の動きにとりわけ関心を払った振付家。広大なUCLAの中を散歩した後、タクシーでビヴァリーヒルズを抜けてハリウッドへ。歩道に埋め込まれた有名人の星を見ていると下ばかり見て歩くことになる。正直何を観光すればいいのかよくわからないのでとりあえず派手なチャイニーズ・シアターへ行き、次にアカデミー賞で知られるコダック・シアターへ行ってみた。『イントレランス』のバビロンの象を模った超巨大な装飾など。とにかく何もかも過剰にデカく、人間のスケールを超えている。食事してバスで帰る。
7(金)タクシーで一番近い地下鉄の駅まで行き、ユニヴァーサル・スタジオへ。ロスは地下鉄も電車も一応あるがほとんど機能しておらず利用者も著しく少ないようだ。ユニヴァーサルの駅からはシャトルで丘の上へ。ぼくとMはカリフォルニアロールに完全にはまっておりここでも昼はあれこれと堪能した。寿司とは別物だがこれはこれで広がりがあって良い。スケジュール的に二時間くらいしかアトラクションで遊べなかったが、絶叫マシン系のものに二つも乗ってしまい、トラウマになった。機械的に引き回されるのと、それでいて人の体や呼吸のリズムに絶妙に攻め入って来られるのが怖くてたまらない。いっそのこと身を預けてしまえば楽になるのかなとも思うがぼくには理解できない世界。地下鉄で市街地へ向かい、刺激的なパフォーマンスをたくさんやっているREDCAT(Roy and Edna Disney / CalArts Theater)へ。ディレクターのマーク・マーフィー氏に会って、劇場やロスの状況について色々話を聞かせてもらう。ロスはあまりにも街が広すぎて移動が大変で、オルタナティヴな小劇場文化が育ち難いのではないかという気がした(小劇場は人口密度の高い都市に特有の文化形態だろう)。この劇場はフランク・ゲーリーが設計したウォルト・ディズニー・コンサート・ホール・コンプレックスの一部で、劇場自体もゲーリーの設計による。話を聞いた後に建物全体を見てみた。ちょうどコンサートの客が集まりつつある時間帯で、ドレスアップした人々が車からどんどん降りて来る。建物は巨大な銀色のパネルを花弁のようにいくつも斜めに組み合わせたもので、階段で途中まで上って外周をグルッと回って見ることが出来る。劇場に戻って、エイコ&コマがカンボジアの若い(20歳前後)画学生十数人と作った作品を見た。ダンサーではない身体の生の質感が強烈に出ていて、ナイーヴながらきわめて美しい傑作。帰りはジュディが車で送ってくれた。夥しい数の車のヘッドライトがクローネンバーグの『クラッシュ』を思い出させた。ロスに来てからは何を見ても映画みたいに見えてしまうという話をしたら、ジュディも助手席のLも大笑いしていたが、ジュディは、映画のイメージがどこまでも侵食してきて、たとえ誰か身近な人が亡くなった時も、自分自身の体験ではなく何かの映画を見ているような気分にさせられてしまう、自分は「それ」を感じたいのに、感情が映画に奪われてしまう、という風に言っていた。これは必ずしもロスに限った話ではないと思う。
8(土)朝からバスツアーでディズニーランドへ。Mには申し訳ないがぼくはスペースマウンテンにすら乗れない(ただしスターツアーズのように、速度や遠心力がかからないヴァーチャルものなら乗れる)。浦安と違うのは、必ずしもキャラクターが売り物にされているわけではないという点で、歩いていても巨大なネズミやアヒルが徘徊しているのをあまり見かけない。くたくたになってまたバスで帰る。
9(日)午前の飛行機でラスヴェガスへ。また広大な道路の脇に巨大なホテル&カジノが点々と並ぶ殺風景な景色。一つ一つのホテルの中も異常に広く、歩き回るだけで疲れてしまう。数千室もある建物がいくつもつながっていて、さらにカジノ、サーカス、遊園地まで備えている。こんなホテルばかりが集まって構成された街に、エッフェル塔やピラミッド、ブルックリン・ブリッジなどあらゆる有名な建物の縮小版が立ち並ぶ。とりあえずホテルのレストランで昼食にするが、あまりに大量の食物が豪快に消費されていてちょっと気分が悪くなる(ドリンクバーなど Endless Drink と書いてある)。タクシーでシルク・ド・ソレイユの『O』をやっているホテル・ベラッジオまで。アメリカへ来る前にKさんに教わるまでラスヴェガスでこういう巨大ショー(ホテルの中に特別に作られた巨大シアターで行われ、各ホテルはそれを売り物にする)が見られるという事実を知らなかったが、特にシルク・ド・ソレイユの『O』は評判で、当日券のために二時間ほど並んだ。カジノの脇で、まるで日曜朝のチケットぴあの前に並ぶ人たちのような気分になり床に座り込んでしまう日本人は「座らないで下さい」と怒られる。中に入ると想像を絶する巨大劇場で、大量の本水を使ったアクロバティックなスペクタクル(バロック期の王侯貴族のページェントを模している)だったが、スケールの大きさに比して演出効果や時間的な組み立ては案外フツーという印象を受けた。舞台機構がすごいらしい新作の『Ka』は、日曜月曜と休演で見られず。「ムシキング」に名前の似た「寿司キング」で夕食。
10(月)早朝4時45分のピックアップでグランドキャニオン・ツアーへ。空港まで行き、小型飛行機に小一時間乗る。時間に余裕があれば車で来たかったがこの手軽さは有難い。しかし飛行機が小さいため、誰も人間の住んでいない火星のような地上をくっきり見せつけられながらのフライトは怖くてたまらなかった。どうして他の人たちは、斜めに傾いた窓側に身をもたせかけて地上を眺めるなどということができるのだろう。現地へ着いて景観のよいポイントを二箇所周る。容赦のない巨大さ広大さはもはや実感の域を超えている。18億年前の地層がそのままの状態で露出しているという。日本人ガイドの説明がとにかく面白くてためになり、またいかにもグランドキャニオンを愛しているんだなという熱が伝わって来て良かった。馬とロバをネイティヴ・アメリカンが掛け合わせたラバの話や、動物は危険な場所とそうでない場所の境界を常に確認しながらでないと安全に歩けないので必ず崖っぷちギリギリを歩くということや、アメリカ人がいかにコロラド川の急流下りに憧れているかなど。時間的には物足りなかったが午前中に飛行機で戻り、ビュッフェで昼食。ここへ来るまで知らなかったがラスヴェガスはどこもビュッフェが充実していて、一定の料金を払えばあとは食べ放題になる。ガイドのKさんは70年代に『アメリカン・グラフィティ』を見てアメリカに憧れ、高校卒業と同時に家出同然でロスに来てしまったという。今と違って当時はグリーンカードも割と簡単に取れたらしい。ツアーの後は別のホテルの中にある水族館へ向かう。完全にエンターテイメントで教育的な要素は皆無。いきなりワニ、ピラニアから始まり、南米の魚や、珊瑚礁の魚、サメなど。このマッチョな構成にラスヴェガスの本質を見た気がする。カジノ、サーカス、女、そして危険な魚。つまり冒険心、スリル、「賭け」への衝動をあらゆる角度から徹底的に追求すること、それがこの場所の明快きわまりないコンセプトなのだ。朝から動いて疲れたので今日は早めに帰る。
11(火)連日の疲れがたまって来ているため、夜の飛行機まで近場で過ごすことにする。ホテル内だけでもカジノや遊園地、サーカスなどが無限にあり、その物量が不意に空恐ろしくなったりする。カジノは全く手を出していなかったが、25セント硬貨を飛ばして遊ぶ極めて原始的なゲームに二人して夢中になり5ドルずつ使ってしまった。夜はフリーモント・ストリートのアーケードで行われる映像ショー「フリーモント・ストリート・エクスペリエンス」を見に行くが、時間が合わなかったのでとりあえずシーフードのビュッフェへ入りカニとエビを食べまくり、ラスヴェガスで一際目立つ不気味な塔、ストラトスフィアの展望台へ行ってみたが一時間待ちとのことで断念、またタクシーでフリーモントへ戻る。タクシーの運転手はパリから来ていて、週に一日だけタクシーで稼ぎながら、アメリカ人が何を感じながら生きているのかを見ているのだという。彼いわくアメリカ人はほとんど無知で、自分たちが世界で何をしているかを知らない。確かにこんな広いところに住んでいたら、その外に何があるかなんてわからないだろうなと思う。アメリカの外なんて、宇宙の外と同じくらい、わからないだろう。フリーモント・ストリートは、日没以降深夜まで正時にド派手なネオンがパッと消え、長さ450メートルのアーケードを全て巨大スクリーンにして10分弱ほどの映像が流れる。韓国のLGがスポンサーになっているようで技術的には大変なものだが、画面が8個くらいに分割されていて、反復パターンの多いプロモーションヴィデオみたいな内容に終始しているのがちょっと惜しい。左端から右端へ何かが高速で吹っ飛んでいくとか、そういうことができればこの巨大さをもっと活かせるのにと思った。飛行機の時間がギリギリなので、ホテルへ戻って荷物を拾い、空港まで飛ばしてもらった。出発ゲートの脇にもまだスロットマシンがたくさん並んでいてあきれる。