もう残り時間が具体的な数字となって見えているので毎日血眼になってリンカーン・センターに通いひたすらヴィデオを見る。こっちは時間がなくて急いでいるのにヴィデオのオペレーターが悠長でいつも想像を下回る量しか消化できない。そもそもNYには「急ぐ」という観念がないのだと思う。地下鉄の運行なども不規則だから、乗り遅れまいとあわてて走って移動することも結局あまり意味をなさない(事実、街中で走っている人をあまり見かけない。ジョギングを除いては)。ヴィデオデッキの早送りが二倍速しかないというのも痛い。何しろ最近ようやくジャドソン教会やポストモダンダンスの人々がやっていたことの意義が腑に落ちるようになってきて、見ていても面白いし、今さらながらどんどん関心が深まっていっている。NYに来てすぐに見た時は、正直こんなものかと幻滅したものだったが、この印象の変化は、むしろ現在NYで行われているダンスを半年間、散々見たことにおそらく由来している。そうしておいて改めて60年代を見たら、ある種の歴史的な文脈の「深層」のようなものが理解できたような気がした。つまり日本の2000年代からアメリカの1960年代を眺める状態から、アメリカの2000年代からアメリカの1960年代を眺める状態へと移行することで、「アメリカ」における歴史的文脈によりフォーカスすることができた。40年という歳月の中にも何か漠然と一貫した特性があり、それが「日本」とは違っているという当たり前といえば当たり前の事実なのだが。昨日今日は James Waring を見た。ポストモダンダンスの先駆者的な人だが、個人の財団があって多くの映像記録が残されている。イヴォンヌ・レイナーがダンスをやめてから作った映画も見ることができた。確かに60年代の記録映像は期待していたほど豊富ではないとはいえ、こんな強力なライブラリーが無料で使えるのだから、ダンスの歴史研究にとってNYは聖地のようなものだ。今回はタップや社交ダンス、民族舞踊関係には手が回りそうもない。どうしたらまた改めて、もっと長くこの街に滞在できるかを考えてしまう。
今日は急に冷え込んで風邪っぽくなり頭痛がしたが、夜にCAVEへ行きパーティー。さすがに色んな人が集まっていて帰国前に会えて良かった。5月から東京に来るXとK、あとJ、K、Cちゃんにも会えた。Dの作品に出ているダンサーにも偶然出会えたりした。
来週月曜はMとボストンへ遊びに行くことにしたが、それ以外は最終週も予定がギッチリ詰まってしまい気が遠くなる。原稿は増え、夏にNYで開かれる小さいフェスの選考までやる。ライブラリーが開く前にということで朝9時から。そろそろパッキングだってやらなければならない。