与野まで早めに出かけ、GさんSさんYさんとミーティングのため劇場下のカフェへ行ったらOくんが仕事をしていた。もうすぐ執筆のために出版社のカンヅメというやつに入るとのこと。
ミーティングはまだブレストの段階なのだがそれゆえにすごく面白い話が出た。色々な地域のダンスが、当事者の意識とは無関係に、「伝統」や「アイデンティティ」なるものによって同一的なものへと囲い込まれて行くということがある。「伝統」と「現代」(「古典」と「コンテンポラリー」)というような対立軸が、グローバル化の直接的・間接的な作用でもって生成され強化されて、あたかも自明なものになってしまうということが起きている。その結果、確かに都市文化が世界的に画一化する一方で、古い文化は、消えていくか、博物館的な仕方で保存されるという経路を辿る。多様性を強調するつもりが、かえって動態的な文化の失速を招くことにつながる。しかし各々の文化的エージェントにおいては、何か同一的なものを意識的に固守していなくても、目に見えにくい「歴史」的な作用が当事者の「文化」=「ものの考え方」を規定しているということがある。例えばそれは何気ない仕種や身振り、仕事の進め方の上での習慣であったり、人との関係のもち方であったり、何とも名づけようのない行動や思考のパターンの違いによって、文化的差異が意識されたりする。こういったものは多分に無意識的に行われているので、「伝統」やエスニシティなどといったわかりやすい形で代理=表象することが到底できないほど、細かく複雑で流動的かつ重層的な差異の網の目をなしている。日本のダンスはエスニシティや文化的アイデンティティについて非常に無頓着だが、そうかといって例えば西洋の文化にすっかり自己同一化してしまっているわけでもない。どちらにもつかずに、個人や「私」の水準でものごとを捉え、表現している(と思っている、あるいは、思われている)。しかしこれもまた、伝統/現代の対立軸(という代理=表象システム)を無批判に受け入れてしまうのとは違った仕方で現実を素通りする一つの弱さ、安易さであり、それゆえに「コンポラ」の共同体はますます閉鎖的かつ自己完結的になって来ているのではないか。個人や「私」を構成している様々な無意識の枠組を意識化していくことが、表現の主題にも、強度の源泉にもなるし、ヌルい共同体から外に出るための通路にもなるのではないか――といったような議論になった。このMTは二回目なのだが、前回とはまた違った角度から話が深まり、いい意味で広がって来た。これをうまくまとめて行けたら面白いことになると思う。
ヤン・ファーブル初日は色々な人が来ていて、色々な人に会ったが、帰り道で後ろの方からMさんが走ってきて、Kさんと三人で軽く飲んでいたら隣の席にKくんKちゃんのコンビがやって来たりした。Mさんとぼくの間では、94年前後に、まだ「コンテンポラリーダンス」なんていうフレームがなかった頃に、神奈川を中心に色々やっていた舞台の衝撃が共有されていて、何となく同志のような感覚がある。94年のヤン・ファーブル『時間のもう一つの側』のラストの、怒涛のように降って割れまくる皿の、単純きわまりない「量」のインパクトなど。