次から次へと忙しくて全くやりたいことができない病。
陸上自衛隊イラク撤退」を「自衛隊イラク撤退」だと勘違いしている人が実際に多いらしくて、この国の民主主義なるものの惨状には震え上がってしまう。陸自の撤退が、空自の配備拡大と交換条件になっていることは、何かの報道番組でずっと前に見たのだが、記者会見などでも首相はそのことに言及せず残念だと解説者は言っていた。残念、じゃないだろうと思うのだが、大して取材もしないで政府発表・警察発表を横流ししているだけの大方のマスメディアのショボさは文字通り犯罪的といえる。
突然、渚ようこの『第三京浜』が聴きたくなり、ずっと続けて聴く。昭和歌謡フェイクだの何だのといったことは抜きにして、横山剣の詞が本当にいい。何かのトラブルを後にしながら、東京を去って行く男と女の話で、第三京浜道路を通過する車中での、女のモノローグになっている。心身ともに疲れ果てて眠る男を、女が運転しながら慰めるという変わったシチュエーションを、男が作詞して女が歌っているわけだが、どうしてこうも厭味なく美しく書けるんだろうと改めて横山剣の言語感覚に驚いてしまう。歌は三番まであって、特に、毎回繰り返される部分と毎回異なっている部分とがコントラストをなしているくだりの言葉の選び方がグッと来る。歌い出しは「白いクーペ」で、それが(1)「黄昏のオレンジ色に灼けて」いき、(2)「やるせない水銀灯に溶けて」いき、(3)「トンネルのオレンジ色に溶けて」いく。こんな常套的な、時間の推移の表現が何の衒いもなくキメられてしまったらもう何も言えない。そして「いいのよ いいの」と慰める言葉の後の、「かわりに私が運転するわ」が、二番、三番と変奏されるところなどは、歌謡曲という形式における詩の力がマキシマムに発揮された部分だと思う。一番で提示された「かわりに私が運転するわ」が、二番で「〜力になるわ」となり、三番では「〜歌ってあげるわ」となる。何度でも聴き進めるたびに、うわーそう来るか、と感じ入ってしまうのだが、その意外性の印象の源が、まずは1→2→3という幾何学的な形式で演出される差異の展開でありつつ、それが同時に、この女の「優しさ」の奥行きと広がりが段階的に開示されていくプロセスでもあるところが美しい。1→2→3と示される優しさのヴァリエーションは、ここではたまたまそれらが可能な選択肢として取り上げられたけれども、むしろその三つの点はさらに大きな星座の布置のほんの一部をなしているに過ぎない、ということまで暗示されているだろう。「数」の、無限に数えられるという性質によって、「愛」の無限性まで表現できてしまうのだから、歌は素晴らしいと思う。