日本語原稿は朝あげたが英訳の作業は丸々残したまま、ラップトップやDVD、衣類と資料を突っ込んで慌しく出かけ、そのままミーティング。日本語原稿をフロッピーで渡そうとしたら驚かれてしまいカルチャーショック。ぼくは普通に使っている。森下スタジオ近くのホテルで英訳の作業をちょっとだけ進めて、戻ると参加者が続々到着。ほとんどの人はシンガポールジャカルタで前に会っていて、久々の再会。ヘリーはジャカルタから、洪水のことを心配していたのだが大丈夫だった。ジョヴィアンはダラスから来ると聞いていて、ダラスで何をやってるのかと思ったら旦那さんがシンガポール空軍でダラス勤務なのだという。意味がわからなくて聞いたら、シンガポールの軍隊は自国に土地がないので色んな国に基地を分散させて駐留しているらしい。俄かには信じ難い無茶苦茶な話だがいざとなったらあちこちの基地から一斉に色々飛んで来るのだろうなと思うとちょっと見てみたい気もする、と言ってみた。
初日はインドのチェンナイ(旧名マドラス)から来たパドミニ・チェトゥールによるプレゼンテーション。非常によく整理された内容で、普段から論理的に考えながら創作していることがよくわかった。チャンドラレーカ舞踊団で培った様式を基に、装飾的要素を削ぎ落として抽象化する、という手続きが結果として一種のミニマリズムになっていて、とてつもない強度がある。しかしぼくはその「装飾を取り除く」という抽象化の考え方が、一言でいえばカント主義的なヨーロッパの美学で、20世紀後半の「ミニマリズム」まで続いたこの形式主義を、欧米の人々は基本的に「普遍化」のプロセスとして実践していたけれども、しかし今現在、パドミニの作品を見ると、そうした形式主義というモダニズムが実はヨーロッパ特有のものなのではないか、つまり形式化を通じて「普遍」を求めるという発想自体がきわめて地域特殊的な、エスニックなものなのではないか、という考えが浮かんできた。そして同時に、そのような考え(というか事象の現われ方)自体が、まずヨーロッパが世界的な覇権を握り、他の地域を植民地化し、それぞれの文化の固有な歴史的展開とそのリズムに介入してしまったという世界史的事実があったがゆえに、一方に形式主義があり、他方にそうでない多様な文化があり、前者は(なぜか)後者に対してかなりの汎用性を示して食い込んでいくのだ、という風に見えるだけかも知れないとも考えた。これは永遠に答えの出ない問題なのだ。パドミニの考える形式主義が、欧米に由来するものなのか、インドにおいてもやはり発想され得るものなのか(つまり形式主義はどんな文化においても生まれ得るもので、したがって形式は真の普遍なのか)は、今となっては誰にも答えられない。つまり「普遍」として考え出されるものの普遍性は、歴史的に、証明不可能、または証明不可能になってしまったのだ。こんなことを質問しようとして、結局あまりうまく伝えられなかったのだけど、それよりも客席にきちんとマイクを回す時間がなくなってしまったことを反省。
手塚さんはインドの国土面積の話をする時にインドの「敷地」と言ってて受けたが、地域によって文化が違うということはあらゆるスケールで感じられるもので、国の中でも違うし、同じ町の中でも場所の特徴というものは様々あり、しかしそういう風に漠然と感じられる「違い」と、国ごとの「違い」や町ごとの「違い」というものとは、似ているけどどこか違うような気がする、と言っていた。これはとてつもなく重要な指摘だと思う。
皆は初日打ち上げに行ったがぼくは弁当を買って帰って翻訳の仕事をし続け、また朝が来た。