原稿が遅れて朝まで作業してしまい、打ち合わせに出席できず。ドロドロと眠って起きて脱稿・送信。
去年の夏から準備してきた「アジアダンス会議」まで、あと一週間になった。ぼくが主に担当する「アジアのダンス」という部門は、研究者・批評家・オーガナイザーが集まって各自の発表とディスカッションをしていく場で、今までのダンス関係のイヴェントや日本の舞踊アカデミズムとは一線を画す水準の批評性・政治性を確保できたと思う。
大阪の古後奈緒子さんには、関西のダンスがおかれている状況と、そこから見た日本のダンスについて報告してもらう。首都を中心とする国民国家の枠組を自明視することなく、日本を複数化・重層化させながら見ていく。
桜井圭介さんには、「コドモ身体」論を今までとは全く違うコンテクストに置いて展開してもらう。西洋化=近代化へのアンチテーゼであるところのものが、アジアという空間に面した時、どう見えてくるか。
アートNPOでコミュニティ系の活動をしている下山浩一さんには、事例報告をお願いする。「アジア」を扱う会議であえて「地域」を取り上げるのは、ナショナリズムではなくミクロなリージョナリズムの視点でアジアを考えてみたいということと同時に、マクロな視点を踏まえつつローカリティを考えてみたいということでもある。
インドネシアのヘリー・ミナルティは、インドネシアという国民国家とそのナショナル・アイデンティティの歴史を振り返りつつ、97年のアジア通貨危機を背景にしたスハルト政権崩壊後の状況に焦点を絞る。「ポスト98年」がダンスに何をもたらした(もたらす)かの考察。
武藤は、90年代以降のダンスにおいて出現した「ポスト歴史」的な状況がいかなるイデオロギーによって支えられているかを論じる。ダンスが「今ここ」なるものの無批判な肯定へと動員されている時、この現在性は何によって構成され、何を隠蔽しているのか。特に、バブル期に逆輸入された舞踏の非政治化と日本的ポストモダニズムについて。
マレーシアのズルキフリ・モハマドは、イスラム文化という文脈でのコンテンポラリーダンスの可能性を論じる。大航海時代以降のヨーロッパの植民地政策を背景に、インド系・マレー系・中華系の人々が演じてきた文化的交渉のダイナミズムについても聞きたい。
シンガポール出身でタイ在住のタン・フクワンは話す内容をまだ知らせてこないのだが、欧米やアジアのダンスは隅々まで熟知しているばかりか(トヨタアワードなども普通に見ている)、南米やアフリカまで飛び回り、とにかく何でも知っている博覧強記の人。批評理論や思想にも強く、ジェローム・ベルとピチェ・クランチェンの共演を仕掛けた張本人でもある。
正直、アジアというものにここまで深入りすることになるとは思っていなかったが、日本という位置からアジアを考えることは、実は戦後のアメリカの東アジア戦略を考えることでもあり、つまりは日本が置かれた世界的な位置と、その住人としての主体性の条件を考えることでもある。こういう枠組の中でダンスの可能性を考えることは、ここしばらく、全く看過されている。つまりダンスは歴史性の忘却の象徴になり下がってしまった。しかし批評というのは、今ないもの、来るべきものに向けて、問いの領域を開くために現在を否定していく作業であるべきだろう。今回の会議があらゆる「今ここ」を叩き割るきっかけになればと思っている。
参加者は基本的に一週間カンヅメになるが、最終日のファイナル・セッションでは一週間の間に行われたこと、起こったことを前半二時間で総括し、後半の二時間を使って再び、フロアも含めたディスカッションにかける。ゲストに、沖縄から前田比呂也さんと、京都から森山直人さんを招く。前田さんには、アジアにおける政治力学の渦中に浮かぶ島としての沖縄や、日本の「内なる他者」としての沖縄についてのお話を伺いながら、また森山さんには、前回、前々回の「アジアダンス会議」に関わられた経験を踏まえて今回の会議の成果についてコメントを頂くことになっている。他方で森山さんには、言語(国語)の問題と切り離せない演劇と、あたかも簡単に国境を越えてしまえるかに見えるダンスとの比較についても議論を展開して頂きたいと思っている。