ラウシェンバーグOpen Score のDVDが届いたので早速見る。凄かった。二部ないし三部構成になっていて、第一部はフランク・ステラとその「テニスの相手」であるらしいミミ・カナレックが、テニスをする。ラケットにトランスミッターが仕込んであって、球を打つと震動が増幅されて会場内に響き渡り、同時に照明が一個ずつ消えていく。ここは一応、ケージ流の「偶然性」というか、ジャドソン的な「ゲーム構造」をかなりリテラルに試みた部分で、だからといってただのテニスを見せられてもちょっと、という感がなきにしもあらずだが、音の非リズム的な鳴り方と、明かりが刻々と落ちていくネガティヴさがクールである。驚くのはこれに続く第二部。テニスが終わって真っ暗闇になった会場(1913年に「アーモリー・ショー」が開かれた由緒正しき兵器庫)に数百名の観客が放たれ、「自分を触ってない誰かに触る」とか「女性は髪をとかす」とかいった簡単な指示が下される。するとそこに赤外線が照射され、暗視カメラで撮影された映像が上方のスクリーンに映って、観客(?)は何も見えない暗がりで自分たちが嬉々としてうごめいているさまを目の当たりにすることになる。インタヴューの中で誰かが「幽霊」と言っていたが、本当にゾッとするような映像で、おそらく当事者たちは行為する自分の身体とその視覚的な像とが完全に分離していることにさぞ取り乱し、恐怖と混乱で脳内物質が出まくっていたことだろう。ぜひ自分の身をもって体験してみたい*1。行為する(ダンスする)当事者の身体と、その視覚的な表れ(他者性)の乖離(あるいは自意識に煩わされない純粋な動きとその窃視)*2はジャドソンの根本的なテーマの一つといえるが、ダンサーじゃなく美術作家がここまで身体の二重性の問題に取り組んでいる事実はかなり新鮮に思える。さらに、2ステージ目では第三部が付加。呆然と立ち尽くしていた観客(参加者)がハケると、布カバンのようなものにくるまったシモーヌ・フォルティが照らし出され、トスカーナの民謡を歌っている。それをラウシェンバーグが抱えて別の地点に移動させ、また少し立つと別の場所に動かす。これを何度か繰り返して、二人が去ると、そのまま終了。この「コーダ」もいきなりフリークスというかホラーである。ラウシェンバーグってこんな人だったのか。ちなみにこれを含む Nine Evenings を実現した Experiments in Art and Technology の展覧会は2003年にICCで開かれたが、このDVDシリーズは今後も凄そうで、ラストに End じゃなくて Beginning って出たのは震えた。

*1:この想像力の大胆さを目の当たりにすると、全暗の中を視覚障害の人のリードで歩く『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』は徹頭徹尾「現実」に内在的というか「地上的」だなと思う。

*2:「生きる者」と「語る者(表象、証言する者)」の分離はアガンベンアウシュヴィッツの残りのもの』のテーマでもあった。実際この映像は、精神を剥ぎ取られた肉体がひしめき合うような「収容所」のイメージをかきたてる。