We dance 二日目。とにかくダンスについて話す、聞く、考える、ための時間が作られていて、それが異例だということを強く感じる。喋っていない時も、考えている。すると上演される個々のダンスも、ダンスであると同時に、ダンスについての思考であるように思えてくる。昨日の「ラウンドテーブル」の後の、スカンク企画『HIGI』などはまさにそういう作品だったが、それのみならず、一見オーソドックスな「舞踏」に見える大倉摩矢子のソロでさえ、ダンスであると同時に、ダンスについての思考=試行であるように感じられたし、岡田智代と安川晶子のデュオも、神村恵のソロも、山下残のも、要するに全てがそうであるように思われ、そして実際にそうなのだと思う。考えることをしないのなら、誰もこんなややこしい、面倒くさいものを求めない。同じことの反復に耐えることの方を選ぶ。問題は、思考=試行にとって必要な環境と、それを自由に発展させていける状況(権力)を手に入れることだ。これを単にアーティストの主体性といってしまうと、現にいま主体性を握っている誰か特定の存在があるかのように思えてくるが、実際にはそんな人は全然いなくて、むしろ「システム」が機械のように自動的に動いているだけだと思う。だから究極的に問われているのは、ダンスについて欲求をもつ人間が、主体性を担ってダンスをやる、という意志(モティヴェーション)であって、「やる」のがアーティストであるかどうかというのは、実はあまり本質的な問題ではないかも知れないとも思う。
最後の「クロージング・フォーラム」は、二時間に渡ってちょっと形式的な「反省」(振り返ること)が行われた。自己評価も大事だが、せっかく大勢の人が集まっているのだから、当事者(今回の企画者=“We”)とそれ以外の人々を分けてしまうより、まさにここに集まった人たちを“We”としつつ、この「次」をどうしていくかについてオープンな議論を始めてしまうべきではなかったろうか。ぼくだったら、その場ですぐにメーリングリストを作って、有志に大まかな役割を振り分け、次回の会合の日時と場所を決め、議論すべきテーマの大まかな叩き台を拵えてしまうだろうなと思いながら最後まで聞いていた。
とはいえ、そういう技術的な課題の克服も含め、今回のイヴェントは「コンテンポラリーダンス」がようやく「主体化」していく画期的な第一歩になるのではないかと思った。ボトムアップ式に進んでいけばそれでいいのだし、とにかくたくさん議論をしさえすれば方向は自然と定まっていく。面白かったのは、公募企画に参加した振付家の「クロージングフォーラム」での発言で、まず彼女は、「主体性」ということが自分には全く問題とは思えなかった、今回も単に作品発表の機会があったから参加したということだった。しかし結局リハーサルの時間が十分になく、それで「やっぱり自分で稽古場を借りれば良かった」と言っていた。まさにそれがここで問題とされている「主体性」だ、ということにおそらく本人も気づいただろう。「主体化」を主張しつつ公募枠では「非主体化」を促す形になったその矛盾は否定しようがないと思うが、こうして結果的には、彼女もまた“We”の立場を共有することになったといえる。こんなことを観察しながら、We dance はもはや早急に、「企画室」から、誰でも出入り自由なオープンな「ネットワーク」へと転換していくべきではないかと思った。