面白

すっかり書店から足が遠のいている。ひどい金欠である上に、もう本を置くスペースがない。寝ている間に大地震が起きたら確実に死ぬ。毎晩命がけで寝ている。
こうなると新刊をチェックしようという気分も自然に失せ、無意識の内に書店へ行かなくなる。雑誌などもまったくチェックできていない。どうしても気になるものはアマゾンでウィッシュリストに投げ込んでおく(どっちにしてもウィッシュリストは衝動買いを減らす最高のシステムだ)。
しかし今日は久しぶりに書店へ行ってみた。欲しい本が一冊も見つからずに済みますようにと祈りつつ、後ろめたい気分で新刊の棚を見て回る。結果的には必要なものを何冊か買ってしまったのだが、新刊は一冊しか買わなかった。蓮實重彦『スポーツ批評宣言 あるいは運動の擁護』(青土社)。
立ち読みによって脱落していった本たちの中には、スーザン・ソンタグ『良心の領界』(NTT出版)があったのだが、これの最後に入っている「美についての議論」というエッセイを読んでいたら面白いことが書いてあった。というか「面白い」ということについて書いてあった。中学で習う interesting を「面白い」と訳すことに慣れてしまっているせいか、この言葉が interest すなわち「利害関心」と関わっていることを忘れていた。もちろんソンタグはカント以降の美学史を踏まえて議論しているのだが、訳者はそれを普通の日本語に訳しているから、英語話者が英語で読むのとおそらく同じくらいに生々しくリアルな議論として読める。普遍志向的な「美 beautiful」ではなく「面白い interesting」という価値概念が最初に現れたのは写真というジャンルにおいてだ、というソンタグの主張は全然わからないが、それはさておき「この写真、面白いね」とは言えても「この夕陽、面白いね」なんていう言葉を想像してみるだに嘆かわしい、「夕陽」は「美しい」ものだと力説するくだりがステキだけどセンチで気にかかる。『反解釈』ではあんなに「芸術のエロティクス」を語っていた人が、あっさり超越的なものに傾いてしまうのだろうか?いや関心と超越には互いに通底するお定まりの回路がある。だから関心か没関心か、そんな公私の二分法とは別の価値論がずっと焦眉の課題になっているのだ。