珈琲

スタバとかドトールとかタリーズとか、気がつけばコーヒー店って大流行している。昔の「喫茶店」のように一軒一軒が街並のコンテクストに溶け込んでいるのではなく、チェーンごとに記号化して均質に分布している分、日本人はこんなにコーヒーを飲むのかと思ってしまう。
今日はタリーズだったのだが、それにしてもどうしてスタバもタリーズも店内で飲むのに陶器のカップではなく紙コップにヘンなプラスチックの蓋をつけて出すんだろう。みんな普通にあれで飲んでるのだろうか?蓋は外せば済むとしても、ぼくは紙コップさえ厭だ。大きなサイズを注文して本を読むのが好きなので、紙コップだと背が高くなり、すぐ倒してしまう。蓋は外してあるから、それはもう盛大にこぼれる。第一、紙コップでは口や手の感触があまりに貧相で味気ない。その点ではドトールが一番好きだ。
今日はついに、コーヒーの種類ではなくカップで選んでみた。ちゃんとした陶器のカップに入って出てくるのはエスプレッソだけらしいので、エスプレッソをダブルにして30分ほど本を読み時間をつぶした。ヨーロッパへ行くとコーヒーといえばエスプレッソが出てくるが、普段自分でわざわざ頼むことは少ない。久しぶりに飲んだら美味しかった。普通のサイズのエスプレッソの小さなカップを指先でつまんでチビチビやるのも、あれはあれで独特の風情がある。飲み物というより、いかにも「刺激物」という感じだ。タバコなどのように短時間でピリッと「一服」やるものだ。
大塚英志 『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』(講談社現代新書)をようやく読み終えた。何より「体力」を感じる本だった。