スピード

徹夜して書類を仕上げ、それを持って打ち合わせ。その後は東京都現代美術館へ行き、成り行きで「再考:近代日本の絵画 美意識の形成と展開」展(第二部)に閉館30分前に入り、駆け抜けるようにして見る。作家別・年代別をやめてテーマ別にザックリまとめた展示方法が面白く、名前を聞いたこともない作家の間に有名な作家がポロポロと混じっていたり、何でピカソがあるんだと思ったらパチモンだったりする。ともあれ約650点ある内の半分だから仮に単純計算で300点あるとして(実際はもっとあったと思う)、1分で10点、つまり1点あたり6秒。最後の方は数人の監視員に後から静かに追いかけられながら完走したのだが、この無茶なシチュエーションがテーマ別の展示と相乗効果をなすのだった。要するに「美人画」のセクションとなればバッと見渡してなるほど「美人」な画が1つ2つ目に付き、「日本ポップ」と書いてあれば一瞬で「あぁハイ、ハイ……あ福田美蘭なつかしー」などと思いつつもう次の部屋へ。こういうのも面白い。だいたいが「美人画」でくくられてしまえばもう画面の全体を有機的統一体として吟味するまでもなくそれが「美人」であるか否かが主要な関心事になってしまうのであり、あるいは「ポップ」ならば超時間的な観念を了解し確認するプロセスでしかなくなるわけで、この「浅い」観照はしかし恐ろしく迅速な判断を人に経験させてくれる。一瞬で、ろくに反省することもなく良いか悪いか判断が下される。というかこれはもう自分の判断というより自分の中の小さい誰かの単なる生理的な知覚現象といった方が当たっている。確か柳宗悦が「骨董市で品物をゲットする時はグズグズしてたら間に合わないから瞬間的な直感で決めなくてはならん」というようなことを書いているのを読んで面白いと思ったことがあるのだが、もちろん時間をかけないと見えないことというのはあるにせよ、時間をかけなくてもわかることだって沢山あるのだし、また時間をかけて判断することと時間をかけずに判断することとの間にどんな質的な違いがあるのかも考えてみる価値があるだろう。グズグズ悩んでいたって結局決めるのは一瞬のことなのだから。しかしそこで選び取られるものが反映している内容は、明らかに違うような気がする。
面白いのも沢山あったが、何が面白かったのか大して思い出せない。いま思い出せるのは戦争画。鉄条網や、過剰な数の人体のひしめき合いがまるで抽象表現主義みたいになっていた。そういえば村上隆とかあの辺が一つも出ていなかったような。