第九日

フォーラム当日、プロジェクトへ集合。土曜の午前の、しかもダンス批評をテーマにしたフォーラムだから一般のお客は少なく、色々な業界関係者が主だ。司会をやるマイケル・シーヴァーはアイリッシュ・タイムズでダンス評を書いている人。デアドレが紹介してくれたフィノラ・クローニン女史は元ピナ・バウシュのダンサーで、見るからにノーブルかつシックな雰囲気を醸し出している。チュラマニー女史には日本から持ってきたヴィデオ(天野由起子とニブロール)とJCDNのCD−ROMを手渡す。四角くイスを並べて向かい合う形で、出席者は30人前後、批評家とジャーナリストと振付家やダンサーが大半だから、フォーラムとか大袈裟なものじゃなく内輪の「寄り合い」か「井戸端会議」みたいな感じだ。まずマイケルが、ぼくらが事前に提出したレポートを使って各国のダンス批評の状況についてブリーフィングする(英語圏の人は必ずぼくの名前を「ダイスキー」と発音する。そしてそれを聞いた人がロシア人と勘違いする。これを避けるには最後の e にアクセント記号を付けるか、-suke の u を取って -ske とすればいいのかもしれないが、この母音の u は日本語学習者にはお馴染みの難関で、例えば Asakusa を Asaksa と発音したら×ということになっている。イタリア語には同じ su があるから、説明する時は「ティラミス Tiramisu」を例に出すと話が早い)。次いで、ポールとアルとコンスタンツェが順番に発言する。アルはいつも長く喋りすぎなのだが、ジョークもうまく皆を笑わせるので堂々としたスピーチになり、次のコンスタンツェをプレッシャーでアタフタさせていた。しかしこの後のディスカッションではもう地域ごとの事情の違いは話題に上らず、「国際」的な色合いはすっかり消えてしまった。批評家が批評について議論するという場の希少さもあってか、皆が自分の意見を次々述べていくが、内容は一般論に終始。例えば、批評はチアリーディングでありかつ一種の検閲としても機能するとか、記述と分析と判断のどれが優位に立つべきなのかとか、どういう読者を想定してどんな書き方をするのが有効かとか、他ジャンルとの客層の共有とか、アーティストの側から見て批評はどういう存在なのかとか。コンテンポラリー・ダンスがマイナーであり、そのライヴァルが主として古典・伝統文化とマス文化であることはアジア、ヨーロッパを問わず同じであるようだ。具体的な歴史背景は異なっても大まかな図式は変わらず、誰もが自分たちをマイノリティだと感じている。興味深い事実だ。しかしいずれにしても、話題が漠然と広がっていくばかりであまり深まっていかなかった。まあこういうものは、大概こんなもんだろう。2時間でお開きになり、近場のチャイニーズ系ファースト・フード Charlie's でランチ。デアドレはこの次にプログラムされている、アイルランドのダンスに関するセミナーで喋ることになっているという。しかしランチ後はみんなバラけてしまって、結局誰も聞きに行かなかった。薄情だ。リアとコンスタンツェは北部の郊外にある巨大なフェニックス・パークへ行くとのこと。ヨーロッパ最大の公園で、超巨大なオベリスクがあるらしい。しかしぼくはいい加減自分の原稿がテンパってきているので、ネットカフェで夜まで仕事することにした。ナターシャも同様。アルが夕方の便で帰国するので、4時にホテルで待ち合わせて、大通りのバス停まで荷物を手伝う。747番のバスなら空港までわずか5ユーロで行けるらしい。例によって効率重視で情報収拾もぬかりないが、どうしてアルがずっと倹約していたのか理由がわかった。アルはダブリンに来る前、一週間ほどロンドンにいて、そこでトランク一個分も本を買い込んでいたのだ。何か本当に自分と同じ人種である。アルはすっきりさっぱりと帰っていった。8時少し前にホテルから外へ出ると、ホテル前でマリーナとキャロラインに会ったので一緒にプロジェクトまで歩く。いつもツルんでいるこの二人は一応フェスの実務面を一番上で仕切っているのだが(芸術監督は今回ご懐妊のため欠席)、何というか、言ってみりゃ年齢不詳の「はすっぱ」系キャラで、言葉もスラングが多くてわかりづらい。いかにもジョセイキンシンセイとかゲンジョウフッキとか出来なさそうなタイプだ。ぼく以外のクリティックは明日の午後帰国するので、今夜のニュー・アート・クラブが皆で見る最後の舞台になる。UKの二人組で、人間と電気の関係に関する諸々(電化製品とかニューロンとか)をテーマにおマヌケなことをやってみせるシアトリカルな作品だった。このフェスで見た中では一番新しいテイストで、日本でいったらまことクラヴとかみたいなノリだが、構成もダンスも圧倒的にクオリティが高く、全体がウェルメイドに仕上げられている。観客のリアクションなども周到に計算されていて、ほぼ完璧といっていい出来だ。もちろん場内は最後まで大受け。ぼくもしばらくは爆笑していたが、途中で『ビーヴァス&バットヘッド』とかあの辺の洋物不条理アニメ、ジェネレーションX、ジム・オルークだのといった90年代カルチャーをダンスに持ち込んでうまくやってるだけだと気付いた途端に醒めてしまった。ナターシャは「この手のやつって大抵いい加減にふざけてるだけなんだけど、これはちゃんと作ってあるからイイ、好きだ」と。そんなんで満足なのか。ダンスとして見れば目新しい路線かもしれないが、普通の眼で見れば表現として何もオリジナルなところがない。ダンスだから初めて可能になった、ダンスならではの表現でなければダメだ。好きか嫌いかでいえば好きに決まってるが、ダメである。ポスト・パフォーマンス・トークにも結構お客が残って盛り上がった。ふと見るとマリーナはバーからギネスを持ち込んで、前の座席にガッとブーツで足を突いてダルそうにニヤついている。チンピラみたいだがこのフェスの最高責任者だ。表へ出たら、皆の間に何となくお別れ感が漂っていた。一週間騒いだだけに、明日でまたバラバラになってしまうと思うと正直つらい。デアドレの提案で川の北側のイタリアン・レストランへ行くことになった。橋の上でナターシャと写真を撮る。着いてみると、土曜の夜なのでもうグチャグチャに混んでいて、オープン・エアの席は満席、中もギュウギュウ詰め。路上ではタンゴ大会が始まっている。仕方がないのでとりあえずワインをもらって外で喋る。もう最後だと思ってナターシャがまた質問攻めにしてきた。第二次大戦を日本では何と呼んでいるかとか、日本の共産党は中国系かソヴィエト系かとか。リアはお腹が空いたと言ってどこかへ行ってしまったが、ナターシャもコンスタンツェも食事をしないというので、デアドレらとお別れをして、バカ話をしながらホテルへ帰った。何かすごいセンチな雰囲気が自分に似合わないのだが、否応なくそうなる。コンスタンツェが「明日の朝は四人だから、一緒に座れるね」と言う。ホテルのレストランは四人がけだから、今まで六人や五人が全員揃っても一緒には座れなかったのだが、明日の最後の朝はもう四人だ。