第十日

最後の朝食の席では、昨夜のニュー・アート・クラブのギャグ(セリフの中に「暗い dark」という単語が出てくるたびにヘンな声で「暗い、暗い、暗い、暗い……暗い、暗い、暗い、暗い……暗い、暗い……」といつまでも引っ張る)が大流行している。本人たちが現われてスポーツ新聞とか読んでいるが、それを見るだけでもう笑えてしまう。しかしこういう朝の雰囲気が余計つらい。学校の卒業式とかで感傷的になったことはあまりないが、今日を最後に皆がまた世界中に散っていくと考えると流石にたまらなくなる。ダブリンには特に愛着もなく、いつでもここへ来ればこの通りにダブリンはあるだろうし、一人一人にならジャカルタアテネやベルリンで会うこともできる。しかしそうやって縮められるのは「線」状の距離でしかなく、この四人の間に生まれる「面」状の隔たりは容易には埋まらない。まあ常識的に考えて、皆で会うことはこの先二度とないだろう。ナターシャは昼過ぎのフライトなので一足先に出発。メールがあるからいつでも連絡は取れる、というエクスキューズのおかげで、いつまでも名残惜しんだりせずに済む。皆サッと消えたがる。
リアとコンスタンツェ。

二人は少し時間があるから午後までブラブラするらしいが、コンスタンツェなどは喋っていると何かの拍子に泣き出してしまいそうになる。お互い楽だから、グズグズせずにホテルの前の通りでサッパリ別れた。こんな精神状態でも、非常識なほど〆切を過ぎている原稿を片付けて明日からの三日半をなるべく有効活用せねばならない。ぼくもさっさと帰国するべきだった。とりあえず同じホテルにいるのは耐えがたいので、朝の内に違うホテルを予約したが、どうしても今晩はここにもう一泊しなくてはならないことになった。フェスは今日が最終日なのでまだプログラムは残っている。午後に The Ark という教育施設みたいな場所へ行って、幼児向けのショーをやるオランダのカンパニーを見た。掛け値なしの子供騙しで面白くも何ともなく、突然信じられない強力な睡魔に襲われて完全に落ちてしまった。そして夜はミュージック・センターでアイリッシュ・ダンスのショー。入口にマリーナとキャロラインがいた。キャロラインはコンビニのレジの下のところに必ず並んでるポテトチップスを食ってて、「いる?」とか言って、くれる。相変わらずのチンピラぶりだが、ポテトチップスだけでなくインビのチケットもくれるのだからやはり最高責任者である。中は大きめのライヴハウスみたいな感じで、バーがあって、客席は長テーブルに長イスがたくさん並び、壁沿いに高いストゥールがグルッと置かれている。バーにいるとチュラマニーさんが夫君と一緒に現れた。明日一日だけ貴重なオフだというから、月曜は美術館などは全部閉まっているが「ケルズの書」だけは見れるとか、Howth はダブリンから日帰りで行ける手頃な観光地であるとか、受け売りの観光情報を提供したりして、一緒にショーを見る。チュラマニーさんによれば今夜はダンサーもミュージシャンも名人ばかり揃ったオールスターで、それゆえこの盛り上がりなのだそうだ。客層には全くジェネレーション・ギャップがない。「ジェネレーション・ギャップがない」というと即「誰からも愛されている」=「国民的人気」ということにされがちだが、そんなわけはなく、色んなカルチャーが並存している中で、こういうものへの趣味も断絶なく連綿と続いてきているということにすぎない。それでもやはり壮観だ。一人で見に来て体を揺らしている「通」みたいなおじさんもいる。今まで『リバーダンス』ぐらいしか知らなかったが、これは本当にシンプルかつハードエッジなタップで、音を出すことと体を動かすことが一体になっており、ごくたまに体の動きが「音を出す」という目的から逸脱して無意味に遊んだりする。音から離れてしまった動きは、いかにも寄る辺なく宙に浮き、勝手に音楽とは関係のないリズムとフォルムを一瞬弄んでは、またすぐに音楽の懐へと溶け込んで見えなくなる。途中で一回休憩が入るが、ビールを二度注ぎなどしているせいか異常に長い。30分か40分ぐらい空く。後半再び最高潮まで盛り上がって、お開きになった。楽しかった。チュラマニーさんとはおそらく来年東京で会えそうだ。財団のダンスの企画が東京で開かれる。マリーナにもお別れを言おうとすると、フィノラさんが来て三人で喋り始まった。このノーブルなフィノラさんの前でマリーナは「ごめんちょっとオシッコ(pee)してくる」とか言ってしまう。フィノラさんは、86年と89年の来日時には国立劇場の『カフェ・ミュラー』とか『カーネーション』などに出ていたそうだ。昨夜成り行きでお別れしてしまったばかりのデアドレも来ていて、もし明日ヒマだったらと芝居に誘ってくれた。しかしまだ大して観光らしいこともしてないのに、もうあと二日半しか時間がなく、今となっては原稿を上げるのが最優先だから「行けそうだったら電話する」と言って別れた。