第十三日

丸二日間もネットカフェで過ごしてしまったのは100%自業自得とはいえ、ホテル代を払っているのだから多少は元をとっておきたい。朝食は抜いて表へ出るともう目の前がメイン・ストリートで、観光客と出勤するサラリーマンが一緒くたになっている。ダブリンには地下鉄がない。小さい街だから、どこへでも歩いて移動できてしまうのだ。あとアイルランドといえばタバコだが、公共の場では全面禁止とはいえ、吸いたい人はどこだろうと吸っている。もちろん警官に見つかったらアウトだし、レストランなどでは絶対に吸わせてくれない(店の側が罰せられる)。とりあえず飲食店で間接喫煙を食らわされる恐れがないのは素晴らしいことだ。世界中で喫煙者の抑圧が進行しているのは明らかにファッショ的な傾向だが、喫煙者一人一人はテロリストみたいなことをしているのだから、仕方ない気もする。しかし喫煙者は非喫煙者に何の恨みもなく、単に旧来の文化習慣に則っているだけだということを考えれば、間接喫煙を強要しているという自覚がないのだから、テロリストですらないだろう。幸いにも近頃日本の駅には、わざわざこれ見よがしに人前で吸ってみせる目立ちたがりな人々がいて、これは微笑ましくも立派なテロ行為だといえる。さてダブリンは街の外れに DART(Dublin Area Rapid Transport)という列車が走っていて、これでダブリンの北へも南へも移動できる。コンスタンツェとリアによればまず北の Howth、次に南の Dun Laoghaire というのが定番コースらしいので、それを辿ってみることにする。一番近い駅を探していたら道に迷ってトリニティ・カレッジの裏手の Pearse という駅まで来てしまった。一日乗車券は6.5ユーロ。Howth 行きが来たので乗る。車内はヨーロッパの普通のパターンで、向かい合わせの座席が両側に並んでいる。『ザ・コミットメンツ』みたいな労働者っぽい住宅地を抜けるともう田舎で、やはり緑が多い。列車はダブリン湾に沿って走っており、途中で保育園の子供たちが乗ってきたりして、何だか江ノ電みたいな雰囲気だなと思っていたら、海辺の駅はもう江ノ島そのものだった。漁師町で、ダブリンから日帰りで来れる手軽な観光地でもある。車内から見えた浜へ降りてみたかったが、道なりに進んだら漁港で堤防の先端まで歩いてしまった。わりと近くに「アイルランドの眼 Ireland's Eye」という島がある。ロンプラの説明によればこの島の端っこにあるのは6世紀の修道院の廃墟だという。6世紀。半端ではない。海鳥のサンクチュアリがあり、アザラシも現われるらしい。
これは停泊していた船。

駅の方へ戻ると脇道があり、そこから浜に出られた。遠浅の海で潮が引いていたので、岸からかなり歩くことができ、何とはなしにウロウロした。はるか遠くから散歩中の黒い犬がテッテッテッと近づいてきて、ぼくが何であるかを確認したらそのまま止まらずにまた放物線を描いて大回りで帰っていった。空間の広さ、日の高さ、ゆったりした余裕のある犬の動きが相まって、時間が引き延ばされるような感覚が白昼夢のようだった。

ブーダンのような画が撮れた。

これが「アイルランドの眼」。左端にあるのが6世紀のだろう。

疲れたので駅の側のレストランへ入って、ビールを飲み、またタラを食べた。美味い。珍しく生野菜も出た。今度は崖を見に、「頂上 The Summit」(まんまな地名)へ向かう。ヨットハーバーなどもあって、リゾートの雰囲気。道なりにしばらく歩くと、坂になって、山道に入る。海沿いに別荘のような住宅が並ぶ。
その中の一軒の庭。海鳥がなかなかいい位置に来ない。


結構歩き、いい加減しんどいなと思っていると、いよいよ本当の山道が始まってしまった。そんなつもりじゃなかったのだが。どんどん海面から離れてきて、本格的な崖の上の道になる。途方もない景色だ。こういうところを歩いていると何となく足が崖の方へ引っ張られるような気がする。なぜかつい自分が思い切って飛び降りてしまうところを想像するのが止められず、怖くなる。これが本当の高所恐怖症というやつだろう。


いかにもアイルランドっぽい景色を採取。だいぶ疲れたので駅へ戻ろうと思ったら、また道に迷う。しかしとにかく下ればいいので、何とか着いた。もうくたくたで、とても Dun Laoghaire へ行く気分ではない。市内へ戻って、少し買物をして、ホテルに帰ってパッキングをして寝た。明日の午前中は市内を少し見よう。