舞踏はエラい。間違いない。

ダブリン滞在中の日記を書き終わった。第三日目まではリアルタイムで書いてあったが、それ以降はすべて記憶によるものだ。回想を始めると、まるで24時間録画してあったかのように何もかも甦ってきて止まらなくなり、書くことも止められなくなってしまった。二日間ぐらい、完全に過去に没入していた。
帰国の翌日から早速ダンスを見始め、たまっていた仕事に忙殺されて(本当は他のもっと大事なことにあてるべき二週間だったのに)、ああこうやってあっけなく忘れていくのだろうか、となかば諦めかけていたのだが、ほとんど無傷で脳内に残っていた。濃かった。ダブリンのレポートはJCDNのメルマガに書いたが、『音楽舞踊新聞』にも載ることになった。
今日はラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップス。水曜の初日だが多くの人が来ていた。ダンスも良かったが、照明が非常に面白く、刺激的。これだけでも十分見に行く価値がある。尺はもう少し短い方がクールにキマるかもしれない。エドゥアール・ロックというのは生真面目な人だ。
しかしアクロバットや体操と、ダンスの間の区別というか節操が実に危うい舞台でもあった。これは早稲田の単発講義を組み立てる過程で膨らんできた考えなのだが、舞踏の偉大さは、およそバレエなどの比ではない。バレエを基準にして舞踏を理解することはできないが、舞踏を基準にしてバレエを理解することはできる。舞踏の規準をクリアしたバレエだけが、良いバレエである、とさえ言えるのではないだろうか。だから、バレエより舞踏の方が偉い。間違いない。方法論のレヴェルでもいいし、もっと凡俗に単なる技巧のレヴェルでもとりあえずは構わないのだが、「舞踏」を理解しない人をぼくは信用すべきでないという確信を得た。詳しい理由については、単純化しすぎてしまう気がするのでまだ書かない。
そういえば先日BSで金森穣の舞台中継があった時に、本編前のインタヴューで演劇の人が「舞踏ってどう思います?」とナイスな質問をした。金森穣は少し考えたのだが、答えるより前にインタヴュアーが「遠い?近い?」と口を挟んでしまったため、「遠いものってない。同じ時代のものは全部近い。それがコンテンポラリーってことだ」「うわ、カッコイイ!」と何だかうやむやになってしまった。ここはぜひちゃんと答えてほしかったところだ。それにしても「同じ時代のものは全部近い」って、またずいぶんと帝国な物言いで、ちょっとヤバい。
今日は帰りにダンサーYとミュージシャンJさんとともに飲んだ。Jさんのきっぱりした辛口(今日の舞台についてではない)には愛と欲望がこもっていて、打たれるものがあった。