黄泉がえり

とてつもなく久しぶりに映画を見た。4月は一本しか見ていないし、5月はゼロ。ゼロは凄い。もう10年ぶりくらいじゃないか。いやいや、ティエリー・ドゥ・メイのダンス映像作品を見たからあれをカウントして三本ということにしておこう。今日はあまり久しぶりに見たせいか、最初画面の見方がよくわからなかった。カメラが動くたび、ショットが切り替わるたびに混乱する。
見たのは塩田明彦監督『黄泉がえり』('02)。やっぱりダメだった。一体どうして『ラストエンペラー』なんかパクッた千住明の音楽をバックに竹内結子がロングスカートでギクシャク走っているのか。収穫といえば、草なぎ剛の髪の生え際がどの辺なのかわかったということぐらいだ。現場も相当ダメダメだったんではないか。全編通して演出(人の動き)が異様に浅い。草なぎクンの大根っぷりはいうまでもない。
しかし映画は、どんなにつまらない映画でも「見た」という事実が残って、何もかも損した気分にはならないからいい。前に映画関係でお仕事をしている方が「映画だと外しても後悔は少ないが、ダンスで外すと本当にガックリする」と言っていて、そうだよなあと思った。映画は多くの人と話題を共有できるし、後で見直せるから、いつか違う見方を教わって考えを変えるということがありえる(あるいは一応そういう建前が成立する)が、ダンスは見逃したり、見ていてもその部分を見ていなかったり、そのような見方で見ていなかったりしたらもう取り返しがつかない。研究や批評理論がなかなか前に進まない原因は間違いなくこれだと思う。同じ作品を何度も何度も、ためつすがめつできないというのは致命的だ。