トヨタ二日目

今日は吉祥寺で手塚夏子を見た。9月出産予定っていう割りにはあまり膨らんでなかった。マース・カニンガム川久保玲みたいなのを期待していたのはやっぱり失礼すぎ。面白かったけど、方法としての面白さよりどっちかというとセンスの良さが際立つ舞台だったように思う。これは『音楽舞踊新聞』に書こう。沢山の人が見に来ていた。こういうところに人がちゃんと集まるというのは素晴らしい。例によってノイズ防止のため冷房はオフ、しかも会場がサンルームみたいなガラス張りだったためまた酸欠気味に。
速攻で三軒茶屋まで移動。昨日に引き続いて今日も良いものが多かった。ほうほう堂なんか、もう感動してしまった。出来が良かったとかそういうレヴェルの感動じゃなく、心の琴線に触れた。こういう経験てダンスでは滅多にない*1。大橋可也はミウミウが凄かった。エロすぎる。こんなエロいものがこの世にあっていいのかと思った。それからほうほう堂と身体表現サークルが似ていることにも気づいた。ほうほう堂が「女の子ヴァージョン」だとすれば身体表現サークルは「男の子ヴァージョン」*2。そう思ってみると今年は、康本雅子と大橋可也もデュオ、ただしこっちは異性のデュオであり(大橋のは厳密にはトリオだが)、どちらの場合も男と女の間は埋められない溝で隔てられている。これについては何か考えることができるだろう。審査は90分も続き、結果は「次代を担う振付家賞」が東野祥子、「オーディエンス賞」が郄野美和子と常樂泰。何ともフラストレーションの溜まる結末ではあるが、これからのBABY−Qには期待したいと思う。
ロビーや客席で、今日も沢山の人々と話をしたが、話していたらダンサーKさんから電話がかかってきて、結果を聞かれ、そして「可世木さんに代わってくれ」という。可世木祐子さんとKさんは昔一緒に演劇をやっていたそうだ。意外なコネクション。
終演後、居酒屋で審査委員長・天児氏と初めてお話した。非常に有益だった。例えばほうほう堂や大橋可也を推すぼくは、ついイギリスなりフランスなりアメリカなりの(いわゆる「欧米の」)価値観を想定しつつ、日本のドメスティックな動向の方がもはやオルタナティヴなのだ、という風に考えてしまいがちだ。しかしそういう二者択一的な思考、あるいは「パワーゲーム」的な思考でいると、あるいは日本のシーンがすごく自閉していてもそれに気付かずにいるということがないとは決して言えないだろう。日本の(とは別に謳っていないが事実上)コンペに外国から審査員を招くというシステムに意味があるとすれば、それは「日本」のとも「外国」のとも違う、むしろその間を横断しつつ新しい筋道を開拓するような、第三の価値基準を探り出すことにあるのではないか。これはぼくの勝手な解釈による全面的な言い換えだが、おそらく天児氏はこのような意味のことを話してくれたと思う。これはぜひ考えるべき問題だ。しかし他方で、日本のダンスがこのままひたすらデタラメで奇形的な進化を続け、そのあまりの悪臭に近所の人が不安になって駆けつけて来るぐらいになってしまう、という方が「現実的」な(?)シナリオであるようにも思える。どうせデタラメなら、もっともっとデタラメなことになってほしいと思う。しかしもちろん、デタラメにこだわり抜くのは容易なことではない。
その場を中座させて頂き、Sさん、ダンサーKさんとともに別の場所に移動。こっちは大宴会状態だった。今回は大道具として袖から見ていたというS塾のTさんに会う。そういえばTさんはS塾の舞踏手になる前は大道具だったのだ。しかし全部見た結果、ヒットは特になかったとのこと。明日も午後に非公開のランスルーがあるので、再び中座し、ダンサーではないがダンサーと呼ばれがちなTさんと、教員Tさんと一緒に帰る。
ここへグーグル「今道友信&子息」で来ている方がいらしたので見てみたら、偶然知り合いの日記を発見した。そしたらぼくが書いた5日前に同じネタを書いてた。そういえば「儀礼的無関心」ってまだ流行ってるのだろうか。

*1:記憶する限りだと、去年のピナ・バウシュの飛行機のシーンとか。

*2:いうまでもなくこれらの「性」は記号。