昼のみ

昨日の手塚夏子のレヴューが電車の中でサラサラと書けてしまった。吉祥寺から渋谷までの井の頭線で半分くらい、今日またその残りを書いたので、90分もかかってない。穿った解釈抜きにただレヴューするだけなら、こうやって見た後すぐ書くのがベストみたいだ。これで終わりにするかどうかは未定。ていうか載るのかどうかが未定。
今日はトヨタの非公開ランスルーを見てきた。過去二回は先着順で出演者を受け付けていたのが、今年は選考委員の意向によって選ばれている。6人とも多かれ少なかれ名の知れた人たちだが、この方が圧倒的に有意義だ。一番手の人は何度か見ているけど今回やっと良さがわかった。面白かった。小スペースで見るということは、必ずしも単純に「クロースアップでジロジロ観察する」ということだけを意味するのではないと思うが、もうこれからは大きなスペースで見てもこのダンサーのダンスを楽しむことができると思う。ぼくには「よくわからない」ダンスというものが結構ある。そういう時はとりあえず一度至近距離で見てみるといいのかもしれない。二番手の人は新作。ダンスというものに関していくつも貴重な発見をさせてくれる強力な作品だった。しかしあまりにも情報量が多く消化不良を起こしてしまったので、もう少し長いヴァージョンで改めて見たい。とりわけただの「歩行」をただの「歩行」ではないものとして見ることができたのがすごく刺激的だったのだが、これについてはまだ自分の中で整理できてない。こういう迷宮みたいなダンスってもう価値判断とかの世俗的な次元を超えてる。五番手の人は前に一度見た作品。基本的な印象は変わらないが、振付ばかりが見えてダンサーがあまり見えないダンス。動きの開発に関しては恐るべき水準であり、見ていて「百科事典的 encyclopedic」という語が頭に浮かんできた。どこがどんな風に動くか、体とその動きはどんな要素で成り立っているか、ということを細かく分析的に把握した上で作られたフレーズの一つ一つが、体に対する知的好奇心をかき立ててくれる。例えばダンスに「意味」を求めてしまう人がこれを見たら、その呪縛からスルッと解放されるかもしれない。しかしやはり、どこか物足りない。知的には興奮するが、肉体的にも精神的にも刺激がない。それと動きやシークエンスだけでなく衣装の色に至るまで、天野由起子の『C◎NPEIT◎』に似すぎているのもちょっとどうかと思った。
今日もJと一緒だった。彼女とはかなり波長が合うし、教わることがいっぱいある。今年は年内に一度はプライヴェートでNYに行く予定だから、いずれまた会えるだろう。
昨日書き忘れたのだが、たぶんあまり報道されないと思うので書き留めておく。トヨタアワードには、今年から受賞者への副賞として「TOYOTA 海外サポート」というのが新設された。「受賞後2年以内における海外公演の渡航費に対して、総額100万円までのサポートが約束され」るというものだ。東野祥子は当然この権利を得たわけだが、授賞式でトヨタの専務が突然「去年の受賞者である黒田育世さんにも、独断でこれを差し上げることにしたい」と発言した。「社内で物議を醸すだろうが、私の一存で大丈夫だ」というニュアンスだった。どうして、今年から新設された副賞を、去年の受賞者にも「独断」で授与することにしたのか?いやそのこと自体はむしろ喜ばしく、祝福されるべきことだと思うが、ならどうして一昨年の受賞者である砂連尾理と寺田みさこには独断で授与しないのかと当然ながら思うわけだ。何しろ「独断」なんだから、「不公平じゃん」とか言ってみても始まらないんだけど、ただ何がその「独断」を促し、またいかにしてその「独断」がトヨタ社内に受け入れられると確信されるのであるか、それが知りたい。