回転
ここのところ映画付いていて今日は『回転』('61、ジャック・クレイトン監督)を見た。黒沢清がしばしば言及するのでずっと見たいと思ってたやつ。ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』の映画化で、女の家庭教師が小さな兄妹のもとにやってきて、その屋敷の亡霊に脅かされる話なんだけど、亡霊がダイレクトに襲ってくるんじゃなく、無邪気ゆえに大人には何考えてるのかよくわからない「子供」という存在に媒介されているところがいかにも文学。一見したところホラーには見えない雰囲気なのだが、微妙なブレの中でホラーに針が振れてはまた戻り、という何とも独特なバランス感覚に貫かれている。例えばおどろおどろしいドローン系のBGMとかは垂れ流されないし、お約束じみたショックシーンなど一つもなく、愚直にも一から新しく「怖い映画」の文法を開発しようとしているようにさえ見える。傑作というより、奇形。こういうものはいつまでも古びないのだろう。塔の上や湖のほとりに亡霊が黙って立っているだけ、という黒沢清がいかにも好みそうなロングショットもなるほど相当に異様なのだが、最初に亡霊がドアップになるシーンの撮り方も妙だ。教師の背後の窓に小さく、しかしいきなりクッキリ映り込んできて、教師が気づいて振り返って絶叫すると一気にドアップ。不自然な装飾は何も施されてない男の顔がヌッとガラス越しに近づいてくる。恐れおののく教師の顔に切り返してから、なぜかここでフェイドアウトする。あれっと思わせておいて、すると再び亡霊の顔のショットがフェイドインし、そのまま亡霊は下がって闇に消えていく。しかもその時、亡霊がため息混じりに「ハゥー……」とかすかな声を出し、これがとてつもなく怖い。緻密なんだか手際が悪いのかよくわからないが結果として混乱するし怖いので成功というしかない、という奇妙な間のとり方だ。もう一箇所、教師と子供が会話しているシーンでヘンなところがあったが、ここは字幕がうるさすぎて堪能できなかった。字幕というのは画面のリズムに対してほとんど無頓着にガチャガチャ切り替わるから鬱陶しい。こんなものが入っている限り、画面を十分に味わい尽くすことは絶対にできない、とこうしてまた一つアンチ字幕の論拠を得た。ちなみに黒沢清は『映画はおそろしい』('01、青土社)の「ホラー映画ベスト50」でこれを第二位に選んでいる。ハッキリ言ってこういうオタク話ができるのが羨ましい。ダンスではなかなかできない。
というわけで、ずっと前に考えてて忘れてたのだけど、今年上半期のダンスを振り返って重要と思われるものを列挙してみる。7本。シベリア少女鉄道『ウォッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(1月、駅前劇場)、大橋可也&ダンサーズ『あなたがここにいてほしい』(1月、STスポット、「ラボ20」)、ほうほう堂『北北東に進む方法(2004)』(2月、横浜赤レンガ倉庫、ソロ×デュオ<Competition>)、チェルフィッチュ『三月の5日間』(2月、スフィアメックス)、ニブロール『ドライフラワー』(2月、パークタワーホール)、黒沢美香&ダンサーズ『jazzzz-dance』(5月、シアター・バビロンの流れのほとりにて、シアター・キャバレー#2)、枇杷系『愛情十八番』(6月、シアタートラム)。