憂鬱

新宿でピナ・バウシュ。客席の反応が思いのほか正直で、清々しい後味だった。とはいえカーテンコールは長く、途中で出て、少し歩いたらTさんがいた。バウシュを見ていたわけじゃなくて、京都からバウシュを見に来たJさん+Tさんを待っているという。それでぼくも一緒に落ち合って、二人の深夜バスの時間まで食事。時間がないので早く出来るものをくれ!とか言ってファーストフードみたいに40分で食った。Jさんは『バンドネオン』をずっと前にNYで見ていて、その頃はもっとダンサーに「ギリギリ感」が漲っていたし、観客が受けるインパクトも強烈で、怒って途中で帰る人も出たのだという。今ではこれぐらいじゃ誰も驚きはしない。アーティスト側の時間も流れているし、観客側の時間も流れていて、その幸福な噛み合わせが「傑作」を生み出し、そして同時に、一期一会のパフォーマンスを「傑作=優れた作品」として歴史の中に定着させ、残酷にも古びさせていくのだろう。しかし生まれたものが老いて死ぬ、などというのはあまりに当たり前すぎる。生成のただ中にあり続けさせることを考えるべきなのだが、今度はそれが「完成までに至る途中の段階」という風に誤解されたら、それもダメだと思う。