媒介の形式

NYに留学中のNと、初めてチャットというものをやってみた。なぜかすごい一昔前のツールというイメージがあるのだが*1、実際使ってみると独特の手応えで、タイムラグが妙に生々しい。「コミュニケーションしてる」という実感がある。
昼は久々にDと会って食事。ダブリンに行く前に少し英語のリハビリを頼んだオーストラリア人で、ぼくと年がタメ。サルサが踊れたり、話が結構合う。ダブリンの話と、あとフラクタルの話とかした。日本列島の各島が世界地図と相似、というのはフラクタルなのだろうか。九州がアフリカ、四国がオーストラリア、本州がユーラシア、北海道が北アメリカ。南米はないけど、かなり細かいとこまで合致する*2
今日は『ひばり捕物帖 かんざし小判」('58、沢島忠監督)を見た。ラストよりも中盤、東千代之助がひばり救出に駆けつけて大チャンバラになだれ込んでいくシークエンスが凄い。人と物とカメラの動きが有機的に絡まり合って織り成す三次元全方位運動、脳髄直撃、沢島美学炸裂って感じだけど、こういうのを撮れる想像力っていったい何なんだと思う。全体としては超こだわりの部分*3とエラく雑な部分*4とがある*5。BSからの録画なので、例によっておそらく「めくら」と言っている部分の音声が抜いてあった。ただでさえフィルムの退色が激しいのに、そこからまだ引き算してしまうわけか。もちろんテレヴィだから倫理的な配慮は必要なんだけど、世界中で壁画の修復とか、映画だってデジタル修復とかやってる一方でこれだから、テレヴィって、何というか、「飽食」のメディアだなあと思う。

*1:ネットが普及し始めた頃から使われてたせい?『(ハル)』って'96年の映画だけど、あれは「パソコン通信」で、チャットじゃないのか。

*2:この話は昔なんかのSF小説で読んだ。ググるとアブナいサイトが引っかかったりする。

*3:廊下に右向きに立っている人物のバストショットの顔が、一瞬だけ画面奥を向き、また戻って話し始めつつ数歩前に踏み出すと、カメラはドリーで引きながら背景に障子が大きく入ってきて、画面右に会話の相手がフレームインしてくる、とか。

*4:総じて細かいショットを積み重ねる時やけにリズム感を欠いていると思う。

*5:それにしても、ぼくはこの手のミステリーとか刑事ものとかは99%、筋が途中で追えなくなる。たぶん説明的なセリフを無意識の内に流してしまったり、聞いていても頭の中に利害関係の図式を描いてなかったりするのだろう。要するにストーリーってあまり興味ない。