横浜

BankARTでやってる「ヌーヴォー・シルク作品上映」というのに行ってきた。Bプロはまずアルカオス Archaos というところのプロモ映像。これが一番派手でスペクタクルな感じだったので、もっと見たかった。細かい断片になってて残念。次がシルク・プリューム Cirque Plume の『Recreation』という作品。地味。音楽と、あとダンス的なものが主体。こうなるともういわゆる「コンテンポラリー・ダンス」との境界線なんて限りなく曖昧というか疑問。Aプロはシルク・バロック Cirque Baroque というところの作品を2本。『Ningen』はなぜか全編日本ネタで、ミシマユキオが『仮面の告白』を書いたとか色々言う(細かいところはよくわからなかった)。例えば日本で『キダム』の客層にこういうネタは通じないだろうなと思うと何かフランス独特の文化地図が背景にあることを感じてしまう。出し物はトランポリンとか綱渡りとか空中ブランコとかジャグリングとか、とてもオーソドックスなのだが、味付けがいちいち日本的になっている。白塗り顔に学生服の少年2人組とか、軍人とか、剣道の格好でジャグリングとか。基本的に「超人的」な技術を尊ぶ舞台でありながら、そこへ「人間」というタイトルが付いている辺りに興味を惹かれる。人間であるから、人間を超えることができる。ということは、「超人的」なものというのは、根っこの部分では「人間」をかなり強く肯定していることになると思う。2本目は『Troie』。トロイ戦争がテーマ。だいたいやっていることは変わらない。フィリップ・ドゥクフレがどの程度スゴい人なのか、とかちょっとよくわからなくなってきた。今度『キダム』か何かが来たら見てみよう。
しかしこの手の曲芸を見ていると、実に「行為」だなあと思う。そしてダンスは「行為」じゃないなあと思う。「行為」とは、体で何かをすることだから、体が体の外に目的や対象を持つ。「行為」の最中において、体は一種の道具になる。それゆえ「行為」はその結果や効果に回収されてしまうことがある。アクロバットとは、身体ではなく身体の「行為」の首尾如何を見るものだ。しかしダンスは、体の外に目的を持たず、体を動かすこと自体(およびその様相)のみを目的とする。だから過程としての運動と、体そのものをひたすら見る。結果はなく、プロセスだけがある。
3時間近くもサーカスを見てずいぶん飽きてしまったが、休憩時間に書籍の棚を見ていたら評論家のKさんが現れた。カフェで何かお仕事の打ち合わせのようだ。BankARTの書籍売場には珍しい本やいい本がたくさん並んでいて、カフェもあって、こうやって人が何となくたむろってる場所っていいなと思う。情報センター。都内にもこういう場所が欲しい。充実した書籍売場と、カフェと、ヴィデオテークがあり、そこに小さい公演が打てるスタジオと稽古場が付いていれば完璧*1
みなとみらい線で横浜に移動してSTスポットで中野成樹+フランケンズの芝居。色々考えさせられた。ダンスと違って演劇って、「良かった」とか「ダメ」とか二進法で判断しにくい。

*1:これって大阪の DANCE BOX のことだった。