マシン

松浦亜弥パピコを吸いながら、左右に規則正しく目を動かすCM(これ)が怖くてたまらない。たぶん生なのにCGみたいに見える、あるいはCGみたいだけどたぶん生、という最近のCMにおけるレトリックの一種なのだけど、ほとんど正視しがたい恐怖を覚える。ちょっとくらいズレたり、テンポが狂ったりするのではないか、してくれ、してくれないと困る、という思いで見つめていると、長いフィックスショットの最後の方にようやく一回だけ、黒目を早く戻しすぎてしまう箇所が出てくる。肩と口と黒目の移動は同期するように振付けられているのだが、瞬きだけは自然にまかせているため、それに引きずられているのだろう。しかし瞬きというのもまた人間味に欠ける動きであって、結局何か横方向の機械と縦方向の機械がニアミスしただけ、というような、救いのない映像になっている。しかもそれを老人*1が建物の中から眺めていて、こちらは瞬きもせず、申し訳程度に顔と体を斜めにしてみせるのみ。永久運動する機械の脇に植物が生えている、とでもいったような、殺伐とした景色だ。
この前『マルホランド・ドライブ』を見てから、クリス・ロドリーによるインタヴュー『デイヴィッド・リンチ』('99、フィルムアート社)を取り出してきて読んだ。かなりのヴォリュームだが、その三分の一以上が学校時代から『イレイザーヘッド』を完成させるまでの部分に当てられていて、リンチがどんな風に表現スタイルをつかまえていったかがよくわかるようになっている。音楽への執着が思ったほど*2強くないらしいという点を除くと、全体を通して意外なことはあまり出てこない。ただひたすら、『ロスト・ハイウェイ』までの諸作の細部に注釈が加えられていく。全部続けて見直してみたくなった。それにしても、『ツイン・ピークス』の映画版の不評ぶりは本当に凄まじかったらしい。『ブルー・ベルベット』や『ワイルド・アット・ハート』や『ツイン・ピークス』のTV版がヒットして、『ツイン・ピークス』の映画版がコケるという、その間にいったいどういう線が引かれうるのかがわからない。

*1:引きのショットでは服装から大体わかるが、アップでは男性か女性かもあまり定かではない。性ホルモンが減少して低い値でバランスしてしまい、見かけ上性差を失っている老人というものに、いつも強烈な興味を覚える。

*2:例えば音楽からインスパイアされて画面を作る、とか。