三木

昨日から『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最後の7日間』のサントラ回転中。オープニングが恐ろしく暗くてメチャカッコイイ。リトル・ジミー・スコットが歌う『鈴懸の木』も、バダラメンティの曲とリンチの詩で、独特の退廃美がたまらない。
三木成夫『胎児の世界 人類の生命記憶』('83、中公新書)読む。そもそも有名な本なのだけど、この前本屋で養老孟司の写真入り帯が付いて平積みになっていたので手にとった。二匹目のドジョウ狙いでつまらない本を無理矢理出すより、売れている顔を利用して名著に再び光を当てるこういうやり方の方がありがたい。
「記憶」と「回想」は別なのだ、という冒頭からガシッとつかまれる。回想とは「思い出す」ことだが、記憶とは「思い出すことを前提におぼえこもうとする」ことでは必ずしもない。むしろ知らない間に色々なことを覚えていて、後で急にその記憶がまざまざと甦ってきたりする。こういう「無意識の体得」としての「記憶」を、「個体発生は系統発生を繰り返す」のテーゼを基礎にして、胎児が生命30億年の歴史を「記憶」しているという議論へと展開していく。まだ最後の第三章を読んでないのだけれども、第一章はもう一言一言、何を言い出すんだこの人はという緊張感なくしては読めない。正倉院から進化論、サンスクリットからホメオスタシス、と想像力の飛躍が尋常ではない。思想的には時代を感じさせる部分も多々あるのだけれども、二節「母乳の味」が特に面白かった。まず、母乳の味なんて誰も覚えてないというところから始まる。そして実際にも、大して味がないらしい。記憶の「憶」という字は『説文解字』によると「寒くも暑くもない、あるいは空腹でも満腹でもない、そういった過不足ない状態」を象っている。「ここでは、だから、温度や胃袋の存在そのものが忘れ去られているのであるが、ここでわたしたちの日常をふりかえってみると、じつは一日の大半をほとんど無意識のうちにこの状態ですごしていることがうかがわれる」。これは体温や血糖値のホメオスタシスのおかげである。ところで「憶」の字は「快」でもあるらしいが、普通に考えると「快」とは「炎天下の木蔭、腹ぺこにご馳走」といった風に、「不快」な状態からの回復のことを指すけれども*1、「快」とか「不快」とかというのはそう頻繁に起こるものではなくて、むしろ一日の大半は「快」「不快」のない「真の快」「憶、憶、憶……」の連続なのである*2。三木はこの「憶」でもって、母乳にほとんど味がなく、自分の体液とほとんど変わりがないように思えるという事実を説明しようとする。つまり意識されないで過ごされているもの、すなわち無意識の「記憶」の領域を切り出してくる。しかも、母乳を吸うのに必要なのは哺乳類特有の、唇から頬にかけての筋肉構造であって、これがマ行の音「マ・ミ・ム・メ・モ」すなわち「唇音」と関係あるという。ヨーロッパ語の mater から、日本語の「マンマ(ご飯)」、さらには所有代名詞の ma や my に至るまで。あまり行き過ぎると眉唾になってくるのだが、とにかく「無意識」(および食欲)を心理学的にではなく生理学的に規定しているところがいい。ただしここからあと、この「憶」=「真の快」に「太古の記憶」とか「母なる海」みたいな意味づけが盛られてくると精神分析と五十歩百歩な感じの疑似科学に近くなってくる*3。まだ最後の章を読んでないからわからないのだけど。
これを手にとったのにはもう一つ別の理由があって、最近身の回りで妊娠している人がけっこういる。それで、何といっても妊娠期間中の胎児に対する母親の心理というか、感情が堆積していくプロセスがすごく大きいんだよな、ということを考えた。たぶん自分で子供を生むという経験は一生しないだろうから(技術的にはもう可能?)、想像するしかないが、母親の子に対する愛というのが、何か遠距離恋愛みたいな、「会えない時間が愛を育てる」みたいなことになっているのではないかと思う。何しろこの本に出ている胎児の顔なんか見てしまうと、どう考えてもこんなの愛せない気がするし、生まれたばかりの赤ん坊とかもかなりしんどいものがある。そこを「やっと会えた」母親はフォローできる。その感情の強さというのが、まず感動的であり、そして乳幼児からの人格形成と社会化に関わってくると思ってたのだが、そこへさらに胎児の生物学的な諸条件がジャスト・ミートしてくるというわけなのだろう。

*1:三木はこの辺りで食欲と味覚をごっちゃにしているのだけれども、そこにむしろ何かリアルなものを感じる。ちなみにカントは「ひもじい時にまずい物なし、また食欲の旺盛な人たちにとってはおよそ食べられるものなら何でも美味である」といって純粋趣味判断を弁別している。

*2:この辺り、文体といい議論の方向性といい何となく中井正一を髣髴とさせる。

*3:記憶というものがいかに胡散臭いものであるか。例えば昨今トラウマなんか大流行しているけれども、捏造される偽トラウマ記憶のせいで家庭崩壊、なんてこともザラにあるらしい。