舞台撮影について物申す。および吉田喜重

前々から思ってたことなのだが、小さいハコにダンスとかを見に行くとカメラマンがすごく迷惑なことがある。シャッター音が気になるのだ。どうしてゲネを撮らないのか?本番でも消音ケースをかぶせていればまあいいけど、消音ケースも持っていないで本番の舞台をバシャバシャやるような素人を、主催者や劇場の責任者はハコに入れてはいけない。今日はさいたま芸術劇場の小ホールでナルシソ・メディナというキューバ人のダンスを見たのだが、あまり音がデカいから振り返って見たら、よりによって中判カメラで、三脚をつけてみたり、あちこち動き回ったりしながら、大きな音でバッシャバッシャやって、グリグリグリとフィルムを巻き、もちろん頻繁にフィルムを交換していた。ここまで酷いのはさすがに初めてだ。素人考えで、光量がないから中判でと考えたのだろうけど、おかげで全然踊りに集中できなかった。主催者自体があまり公演を打つのに慣れていないのか、チケットとかプログラムとかはやたら丁寧だったりするのだけど、記録撮影のヴィデオのモニターが開きっぱなしになって光っているのが後ろの方から見えたり、勝手に客席を撮影したり、あまりお客のことには気が回っていないようだった。チラシの折り込みを一度も見かけなかったから、どっちかというと内輪の集まりという感覚だったのかもしれないけど、お金を取る以上多少は勉強してもらいたいと思う。
別の話。さいたま芸術劇場の地下は結構色んなチラシが置いてあるから、時間があるといつもチェックしに行く。ナルシソ・メディナのもこの前ピナ・バウシュを見に来た時にゲットしたのだが、劇場の性格上、音楽とか演劇とか映画とか、あと『ぶらあぼ』とかタワレコの『intoxicate*1もある。それで、来月にポレポレ東中野で始まる吉田喜重の特集上映のチラシを見たら、各作品に監督本人の解題がついていて、デビュー作『ろくでなし』('60)のところにこう書いてあった。「映画だからといって容認されている、死んだ言葉を拒否する。たとえ「映画らしさ」から逸脱しても、徹底して私自身の言葉で、初めての作品を作りたかったのである」。ちょっとカッコつけすぎてる気もするけど、カッコいい。
さいたまには批評家のSさんが来ていて、ダンス白州の話など色々伺った。大倉摩矢子が竹林で踊ったのは見たかった。パークタワーの地下のエクセルシオールで仕事をしようと思って行ったら、昼の舞台を見て夜の開演時間を待っている批評家のNさんがいた。Nさんもお仕事の様子。今日は空き時間はすべて、電車の中でも、仕事をしまくった。しまくらないと終わらない。

*1:前は『ミュゼ』だったやつ。いつの間にか変わっていた。