スカスカ

翻訳。今日はあまり進まなかった。フランス語っていうのは本当に嫌いな言語で、これだけ嫌いなんだからいつか好きになるだろうと思うくらい嫌いだ*1。どうしてこんなに発音しない字がたくさんあるのか。読み書きしている分には発音なんか関係なさそうなものだが、この発音のまどろっこしさゆえに、読んでいても何かイライラしてしまう。発音しない子音が多いがゆえに、今度は母音の発音の正確さが大事になってきて、いい加減に発音したらたちまち通じなくなる。面倒くさすぎる。イタリア語が好きなのは、余計な子音がなく、したがってカタカナ式に大雑把に発音してもほぼ通じるところだ。そして発音が楽だと、読み書きも楽に感じる。
映画。『四季の愛欲』('58、中平康監督)。出だしはテンポ良く手際良くシニカルに始まったのに、だんだん湿っぽくなってきて焦点が曖昧に。バツイチの母親と、その息子や娘たちがそろって不倫したりゴタゴタする話で、どう考えてもコメディとしてしか成立しない無茶苦茶な筋立てなのに、本気でメロウにもっていこうとするところがよくわからない。前半の山田五十鈴のキャラクターとかすごく惜しい感じ。
明日は昼にジンジャントロプスボイセイを見て、夜に地点を見る。

*1:殊更に「嫌い」と思えるような特徴があるものは、何かの拍子に180度逆転して「好き」になることがしばしばある。特に食物に多い。「嫌い」の根拠になっている要素の核は、本当はすごくアンビヴァレントなものだと思う。キムチとか昔は食べられなかったが、まさに「嫌い」の理由の核心だったあの臭いが、そのまま、まさにその臭いが「好き」に転じてしまった。だからきっと本当は、「好き」とか「嫌い」とかのデジタルな判断はあまり重要ではなくて、その判断を成り立たせ、促すような、突出した何か、それをそのものとして取り押さえることをすべきなのだと思う。