土〜火

9(土)。早朝の新幹線で台風をすり抜けるように京都まで。約50分遅れで着く。することもなくとりあえず栗東へ。芸術文化会館さきらへ行ってみるものの、いきなり公衆電話で来月の国立劇場「舞の会」のチケット獲り。獲れる。前日まったく寝れなかったのでホテルにアーリーチェックインさせてもらって3時間ほど寝る。また出直したら電車の中でSさんに声をかけられ、さらに振り返るとTさんも乗ってて、降りたらSやんと、さらにKさんにも会った。「踊りに行くぜ!!」の前にロビーで今貂子+倚羅座のパフォーマンス見る。「踊りに〜」は4本立てだが総じてしょっぱい。夜の丹野賢一は中止。この一件については色々あるけど、基本的には特定の誰かの責任というより文化と社会のあり方に関わる構造的な問題だと思う。京都でも大阪でもこの話題はずっと出ていた。とにかく、すごい装置だったので上演を見られなかったのが残念。夜は「踊りに〜」の打ち上げで2時くらいまで。ホテルの傍で飲むというシチュエーションが幸福。
10(日)。午前中に京都へ移動。初めて来た京都芸術センターは何もかも整っていて素晴らしい環境。カフェでお昼を食べて、フライヤーが大量にゲットできる情報室を見て、ギャラリーをチェックする。体育の日なので校庭では地域の運動会が行われていた。ギャラリーの入口の辺りの、フライヤーが置いてある棚とかで弁当食っている人がいて、この棲み分け感が丹野賢一の一件を連想させる。「アート」といえども結局は「レクリエーション」の一種でしかなく、「運動会」を選ぶ人がいたり、「アート」を選ぶ人がいたりする。大広間で「クリティカル・レスポンス・プロセス」という集まりに参加。ダンス作品を見て、それについて観客とアーティストが対話しながら作品を高めていくという方法論の解説と実践。有効とも有益とも思ったが、積極的にやってみたいとはあまり思わなかった。というか普段から個人的にはある程度やっているけど、わざわざ構えてしまうと大袈裟に思えて引いてしまう*1花嵐というグループのパフォーマンスは面白かった。体の中で、動きの起点というか、意識する部位をだんだん変化させていく。その後、1時間ぐらいミーティングがあってパネルディスカッション「ダンス批評の可能性」本番。第1部でしゃべって、第2部の終わりにまた加わって全体で3時間ほどやったのだが、座敷に座布団なのでとにかく足腰が痛くなった。正座などすぐダメになるがその他のあらゆる姿勢のレパートリーも全て使い果たしてしまった。内容的には、話題があちこちに散ってしまったし、特に関西特有の問題点などについては十分に広がらなかった気がするが、この手のものとしてはまずまずのクオリティだったのではないかと思う。少なくともダブリンでやった時よりはずっと面白かった*2。終わってまた打ち上げ。居酒屋の後、JCDNへ移動、3時くらいまで。翌日のチェックアウトを延ばして寝る。
11(月)。昼近くなってからチェックアウト。ネットでデリダ死去を知る。東京から来ているKさんに連絡をとって、一緒に昼を食べることにするが、どこにするか迷って彷徨。京都の駅ビルの長いエスカレーターに初めて乗って原広司のすごいカッコイイ造形を堪能したり、祗園の辺りを歩き回ったりして、結局百万遍進々堂でカレー食う。そこから何となく銀閣寺まで行って見る。すさまじい距離を歩きまくって気がついたらけっこういい時間なので大阪へ移動、南港で維新派維新派は新国立で見たのが最初で、外は今回が初めてだったけど、装置がすごいなという他はあまり面白くなかった。音楽性も希薄で「演出のための演出」という感じがした。スケールの大きさとノンナラティヴな構造は何となくロバート・ウィルソンに近い気もする。Kさんと、Tさんと、Eさんと連れ立って天王寺まで移動、すごい安いホテルに泊まる。飲みたかったけど門限があってダメだった。
12(火)。ダンスボックスが入っているフェスティヴァルゲート(フェスゲ)の辺りまでKさんと行き、Tさんと連絡がとれて朝食。その後ダンスボックスへ寄ってから帰る。疲れた。

*1:というかどうしてダンスってこう作り手本位に傾きがちなんだろう。

*2:あの時は司会者が多くの論点を網羅しようとして、あまりにも「広く浅く」になってしまった。今回は網羅的ではない代わりにいくつかのリアルな論点について一定の内容のある議論をすることができたように思う。