この週末

土曜は港北公民館というところでカタカリを見た。来週あたり丸ビルでやるやつのチラシを見て4000円とか書いてあったが他に調べたら港北では2000円でやっていたのだった。シタールがカラオケみたいだったけどカタカリとはどんなものかという好奇心はとりあえず満たされたので充分。敷地内では「インドまつり」をやっててカレーとか売られていた。ロビーではインド映画のヴィデオ流され。
その後中野に移動してチョロッと入った古本屋で『井上八千代芸話』('67、河原書店)を発見。息子・片山慶次郎の聞き書きによる自伝。見るからに「函欠」のようだったが確証も得られずそれほどの値段でもなかったので購入。函とかそういう付属品の有無は奥付にも記載がないからその場では確かめようがない*1。ところで古本屋一般について解せないのは、値段を本に鉛筆で書いたり、値札とかを糊で貼ったりする行為だ。この本もパラフィン紙が糊付けされていて、はがすと痕が残ってしまった。もちろん疵になれば古書としての値打ちは下がるわけで、どうして当の古書店がこういうことをするのか理解できない。売ったり買ったりして回し続けることの可能性が古書の商品価値(というよりむしろ貨幣に近い)を支えているのではないのか。不可解だ。というか単純にやめてもらいたい。
テルプシコール五井輝2日目は何だか知らないが異様な混み具合だった。どんどん桟敷の列が追加され、また人が立ち、座れる空間にはことごとく人が立ち、座った。2000年11月の神楽坂die pratzeにおける室伏鴻を髣髴とさせた。
先週とうとう見逃してしまった『怪奇大家族』だが今日はすばらしかった。ちゃんと恐怖演出その他がキマっている。ゼロコンマ1秒、ゼロコンマ1ミリ、その他ちょっとした細々とした事どもがこれを成り立たしめている。最後はセンス(感覚)の問題なのだ。できる人にしかできないし、わかる人にしかわからないのだ。

*1:あとでネットで調べたら案の定これは「函欠」だった。でも安い買物だったので良しとする。