信仰とは何か

何か想像を超えた出来事にぶつかって「信じられない」といったりする言い方は、レトリックだとしても、そもそも信じるとか信じないとかそういう問題ではなく認識と心理の間の葛藤の問題にすぎなくて、信じるというのは本当はもっと能動的な振舞いであるに違いない。ただし実感としてはよくわからない。願う、や、祈る、とどう違うのか。そしてこの場合の「信じる」の否定形であるところの「信じられない」は、俗にいう「信じられない(信じらんない)」とは比較にならないほど深刻な内容をもっている。信じたくとも信じられない、主観としては信じたいのに客観的に見て信を置くことはできないことが明らかである、という事態であり、しかもこの場合における「信じたい」という感情はもはや事なかれ主義の他力本願的な、一発逆転を祈念するような、怠惰以外の何ものをも意味しなくなっている。そして今ぼくがこの意味においてもっとも信じられないのは自分だ。