(実は少しも)抽象的(では)な(い)動きについて

イイとしか言いようのないタイミングというものが存在するが、そのタイミングの良さは、実はそのタイミングで開始された何事かの、開始後の持続の速度と相関関係にある。このことはあまり意識されていないと思う。例えばある絶妙なタイミングで闖入してきたものが、その後どのような速度で運動し続けるか(典型的には、呆気にとられて静止している自分からどのような速度で遠ざかっていくか)、これによって「闖入」のタイミングの良さはむしろ遡行的に(レトロスペクティヴに)判断されるのに違いない。タイミングと速度。
タイミング抜きに、速度と速度の比が面白い、ということもある。ここ数年よく見かけるようになった、株価表示などにおける二行(または三行)重ねのスクロール帯がそうだ。アジアのTV画面には頻繁に現われる。個々の行の速度はバラバラで、それぞれは全く変化せず、したがって分節は一切ない。ひたすら比率だけがある。こういうものを取り入れたいと思う心は一見、効率を重視しているように見せかけていて、実は多分に美的文化に属していると思う。