フューチャー・イズ・ワイルド
ワイドショーか何かで「人前で化粧をするのは迷惑行為か否か」みたいな街頭インタヴューをしてるのを見た。「粉が飛んでくるから迷惑」とか「みっともないから迷惑」とか、どう考えてもこじつけみたいな理由を誰もが無理矢理ひねり出しているのは携帯電話と同じパターン。ペースメーカーにそんな影響するんだったら事態はもっと深刻じゃないのか。実用化できない。現に今、病院とかへ行くとかなりフリーに携帯は使われている。「20センチ離せば大丈夫ということが実証されたので解禁した」という病院の話も聞いたことがある。
「不快感」の本当の理由は、化粧も携帯も、その人がその場にいない人とコミュニケートしていて、今その場にいる人のことは丸っきりいないも同然という扱い方になってしまうからに違いない。まさかたまたま同じ電車に乗り合わせたというだけで、赤の他人に自分のことを無視されると腹が立つものなのだとはなかなか誰も考えないし、考えたくもないので、こじつけめいた理由をあれこれ考案してしまう。つまりこの問題は、人々が、完全な他人同士の間でも互いの存在に対して無条件的にリスペクトを求めている、という何だか気恥ずかしい事実を自覚させた(あるいは、そのような過剰な自意識を生ぜしめたというべきなのかもしれないが)。
しかし無条件リスペクトしない派の人たちの目には、無条件リスペクトする派の人たちのことが見えてない。ここにいるんだといくら言っても、相手からすれば、いないも同然なのだ。何だか自分たちが幽霊みたいなポジションで、無条件リスペクトしない派の人たちの写メでありえない場所に顔が写っていたり肩に手でも乗っていたりしないと、伝わらない気がする。
自分のことを無視するなと赤の他人に言わなければならず、しかしもちろん言えはしない、この悲惨なジレンマに直面して、他人に無視されたくない人々は別のルートを探し、「迷惑行為」を捏造して、封じ込めにかかる。そこで「別に迷惑かけてない」と言う人々がもし本気でそう思っていた場合、封じ込めはファシズムでしかなくなる。友人だろうと他人だろうと無条件でリスペクトしろ、と言ってる人が、無条件リスペクトしない派の人をリスペクトできてないことになる。
あえてもう幽霊は幽霊に徹して生きるということもできる。色々見えちゃって気になるけど、幽霊側としては無条件でリスペクトしているから、人間同士は勝手にやってねということで。なんでそうしないかというと、無条件リスペクトは理念として立てられているからだ。自分たちはそうする、しない人はしなくていい、ということではすまない何かがある。それが倫理というものなのだろう。おこがましくも「見捨てられない」などと思ってしまう。向こうからしたらウザいだけだが。たぶん世代交代が進めば、全員が無条件リスペクトしない派になって、ハンパじゃなく野蛮な時代が来て、ワイルドな平和がやってくるだろう。実際、電車内で化粧なんて本当に大した迷惑じゃない。「みっともない」し「不快」だけど、別に「迷惑」ではない。そんなことより、駅の男性トイレではほとんどの人が手を洗わずに出て行くという事実の方がはるかに問題だと思うのだが、誰も告発しない。頼むから手ぐらい洗ってほしい。これは「迷惑かけてないじゃん」とは言わせない。